投稿日:2006年06月13日 (火) 22時21分
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昨日はジーコの采配ミスが大きく響いてましたね。あのタイミングで中田を上げなかったら。小野じゃなくて巻を入れていれば。たらればは尽きませんね。
ところで、そんなジーコが何者なのかは皆さんご存知でしょうか。ジーコはかつて、ブラジルで「白いペレ」と呼ばれたほどの存在でした。そんな彼の全盛期(82年W杯)のブラジル代表には他にもソクラテス(弟も超有名)、ファルカン、トニーニョ・セレーゾといった優秀なMFが揃っていて、彼らを世界は「黄金のカルテット」と呼び、そのスペクタクル性を崇め奉りました。そんな超ハイレベルな集団その中でも図抜けて存在感を見せ付けていたのがジーコその人でした。しかし、それでも3度出たW杯で優勝は出来なかった。
ジーコは90年に現役を引退し、ブラジルのスポーツ省の長官となります。しかし、日本の一介の企業の熱烈なラブコールに押され、官職を捨てて日本に来日、電撃的に現役に復帰したのです。その企業の名は住友金属、そしてそのサッカーチームは後の鹿島アントラーズ。これから後の活躍については話すまでも無いでしょう。
来日当初は小遣い稼ぎとも揶揄されましたが、そんなジーコがアントラーズを通じて日本サッカーにもたらした影響は計り知れないものがあります。まず、人脈を使ってブラジルの優秀な人材を日本に呼び寄せたこと。そして、それにより日本サッカーの大幅な底上げがなされたこと。先の黄金のカルテットのうち、ファルカン、トニーニョ・セレーゾまでが来日して指導に当たっています(した)。極東の弱小国にブラジルの伝説が集まっている・・これは世界サッカーの常識から見たらありえない事態でした。それだけ、ジーコは日本に対して情熱をもって接してくれていたのでした。
だから、ジーコは日本サッカーにとってかけがえの無い存在なので、采配ミスでコテンパンに負けたからってあんまりぴいぴい悪口言うのはよくないと思いますよ☆ |
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[428]・・・?投稿者:Web担
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投稿日:2006年06月27日 (火) 07時57分 |
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まあ、ご愁傷様です。。 |
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