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「ゴエンの〔仮設〕ウェブサイト」掲示板(運用終了)

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レゴで作った世界遺産展
N1-Max北斗 (394)投稿日:2004年09月25日 (土) 13時35分 返信ボタン メール ウェブサイト
が、現在福岡で開かれているそうです。http://kids.yahoo.co.jp/docs/event/pieceofpeace/index.html

私も小さい頃レゴをいじっていた一人ですが、最近のレゴ関連の玩具を見ると周囲の生活の模倣からかなりハイテクなイメージに変わっていますね。ガソリンスタンドがなぜシェルだったかはちょっと疑問に思っていましたが、日本のガソリンスタンドで海外にもあるのって、シェルやエッソしかないんですよね。東京でも大分前に開催されていたみたいですが、世界遺産の細かい部分をこれだけ表現できるなんて、やはりレゴの奥も深いと思いました・・・・。

最近レゴを使ったミニチュアも頻繁に見られる様になりましたが、あれにも脱帽します・・・・。

/ゴエン(管理・責任者) (395)投稿日 : 2004年09月30日 (木) 21時29分
 レゴ、私が小さい頃にも家にありました。あった事はあったのですが、何故、我が家にそれがあったのかが、よく分からないのです。兄が幼い頃に一度、親子で何かを作った事があって、大して面白くもなかったのですぐに壊してしまい、その“残骸”で、後に生まれた私が遊んでいた…とかいう経緯だったかな…?
 そんな感じだったので、強力にくっ付いてしまって離れないブロックや、最初に何かを作った時に整形のために熱で角を削り落としてしまったブロックなんかも沢山あり、色も目茶苦茶。特に私の場合は“物作り”に興味のある子供ではなかった事もあり、“それがあるから、それで遊んでいた”という程度で、楽しんで遊んだという記憶もありません。
 今でも、あのおもちゃのどこが魅力的なのか、私にはよく分からないです…(^ ^;)。

 因みに、私も以前は知らなかったのですが、「レゴ」って登録商標だそうです。デンマーク語で「よく遊べ」を意味する"leg godt"を縮めて商品名にしたのだそうです。後に「LEGO」のロゴTシャツなんかも出てきて、商品名である事がそれとなくアピールされる様になりましたが、一時は半ば一般名詞化していた様な気もします。

新幹線の特集番組、多かったですね
ゴエン(管理・責任者) (388)投稿日:2004年05月16日 (日) 18時57分 返信ボタン メール ウェブサイト
 ちょっと時期遅れな話題になってしまいましたが、九州新幹線の部分開業に因んでか、3月から4月にかけて、新幹線をテーマにしたテレビ番組が数多く放映されたのにお気付きでしょうか。
 私が気付いた範囲で挙げてみますと…

★特急つばめ物語(BS−2、3〜4月に何度か放送。同名のDVDも発売)
 東海道本線の伝説の特急から、鹿児島本線の特急に至るまでの「つばめ」の歴史を振り返ると共に、九州新幹線「つばめ」開業までのエピソードを紹介。(…したものらしいのですが、私はまだビデオに録画したまま見てません…。(汗))

★TVチャンピオン「新幹線王選手権」(テレビ東京系、3月25日)
 この番組では普通、個人対抗で知識を競う企画の場合は、一般公募した応募者の中から予選で選手を選ぶのですが、この回では何故か選手選考の過程は紹介されませんでした。書類や面接での審査だけで出場者を決めたのでしょう。やはりテーマがテーマだけに、普通にペーパーテストで優秀な人を選んでしまうと、かなり“濃い人”というか、何というか…まぁ、要するにテレビ向きじゃない人ばかりになってしまう危険があったんでしょうね…(大汗)。
 そのせいか、各ラウンドで出題された問題も、レベルが余り高くないと言うか、ぴりっとせず、「TVチャンピオン」では珍しく、内容が今一つな感じがしました。

★プロジェクトX「100万座席への苦闘〜みどりの窓口」(NHK、4月6日)
 新幹線自体ではなく、国鉄の指定席券発券システム「マルス」を扱ったものでしたが(新幹線そのものは、かなり以前に既にとり上げられている)、新幹線が開発の原動力に一つになったのは確かでしょう。
 しかし、手作業での処理を迫られていた現場が極めて逼迫していたにもかかわらず、自動化のシステム開発を任された国鉄の技術部門が、共同開発先の民間電機メーカーと、同じ部屋で仕事をしていながら最初は口も利かなかったというのですから、さすが国鉄…。

★スーパーテレビ情報最前線「新幹線100のヒミツ」(日本テレビ系、4月26日)
 過去にも山手線特集などを組んだ事がある同番組。今回は東海道新幹線を中心に山陽・九州新幹線を合わせてとり上げ、豆知識や人間模様を綴っていました。子供も大人も楽しめる演出を凝らした点が面白いです。
 なお、タイトルに「100のヒミツ」とありますが、本当に100個の知識をカウントアップしていく訳ではなく、まぁ「百面相」とか「百人力」とかと同じで“ヒミツがいっぱい”という程度の意味です(紛らわしいタイトルだ…)。因みに番組の最後で、JR東日本の新幹線については別の回で扱うと予告していました。

 …ざっとこんな感じでしたが、以上の番組を御覧になった方や、他に何か御覧になった方、いらっしゃいますか?

■ひとつだけですが…/やづ・みなと (389)投稿日 : 2004年05月16日 (日) 19時53分 メール ウェブサイト
恐ろしく久しぶりの登場でございます(HN変更後初登場?)

一番下の「100のヒミツ」だけ見ました。
山手線につづく鉄道シリーズということで、今回も期待していたのですが、普段新幹線に乗らないこともあり、なかなか充実した内容だったと思います。
次回以降、東北新幹線などを取り扱うとのことで、一日も早い放送を願っております。

■やっぱり2匹目のドジョウは…?/ゴエン(管理・責任者) (390)投稿日 : 2004年08月08日 (日) 23時19分 メール ウェブサイト
 すみません、約3か月ぶりの超遅レスです…<やづ・みなとさん
 遂に先日、「スーパーテレビ」の新幹線特集第2弾が放映されましたね。ただ、前作に比べると新幹線と直接は関係ない内容が目立って、いささかパワーダウンかな…という印象を受けてしまいましたけれど。
 “新幹線と直接は関係ない内容が目立った”点も含め、前作が子供も意識した構成だったのに対し、今回は大人だけを対象にした感じだったのも、折角、夏休み期間中の放送だったのに…と、ちょっと残念というか、意外でした。

 (余談ですが、新幹線が主題ではなかったものの、別の番組でこれとは正反対の事例がありました。先月22日のテレビ東京「TVチャンピオン・東京地下鉄レジャー王選手権」は「地下鉄レジャー王」選手権を謳っていながら、地下鉄を使ったレジャーとはどう考えても無関係な“鉄ヲタ”的出題がかなりの割合を占めていました。セットや司会者のコメントさえ「東京地下鉄王選手権」になっていた箇所があって、何とも妙な番組でした…。)

学校としては「画期的」だった?
N1‐Max北斗@元渋谷区民 (384)投稿日:2004年04月07日 (水) 21時07分 返信ボタン メール ウェブサイト
不意に思い出しネタです(^^)。埼玉→東京→埼玉と転校を繰り返していた私ですが、当時東京の学校にあったり出来たりして新鮮さを感じたものが幾つかありましたので、カキコしようかと思います。

まず、「ウォータークーラー」。当時、区が経営する児童センターや図書館の様な施設ではもう当たり前の様に普及されていたんですが、学校に普及されたのがかなり画期的だった印象を受けたのを思い出しました。
近年は、水の安全性とミネラルウォーターやペットボトルの普及によって、公共施設内にある「ウォータークーラー」で水を飲む人はもうすっかり見かけなくなりましたね。今こうして思うと、今って果たして使っている児童がいるのかどうか…。「これも時代の流れなんだなぁ」と言う事を実感させられました。

次に「砂利ではない校庭」。いわゆる上履きでも大丈夫な場所ですね。これって結構都市部に多く見かけられると聞いていますが、当時埼玉には見かけなかっただけにかなり新鮮でした。ただ同じ区内の中学は、砂利だった記憶があります。やはりこれは小学校限定だったのでしょうかね…?

最後に「ランチルーム」。給食用の部屋で、一見レストランを思わせる様な豪華な作りになっており、各学年・クラスが週順で廻って来ていました。埼玉時代は小学校にありがちな、教室で一緒に食べると言った方式だったのですが、東京に転校した時のこれが当時、かなり新鮮に感じたのを思い出しました。

ちなみにこれ全て、「区立」です(「私立」ならこう言った施設はうなずける部分がありますが・…)が、皆様の母校に「画期的なモノ」って、何かありましたか?

あと余談ですが、埼玉では「通学班」なるものが存在していたのですが、東京に転校した時にはそれがありませんでした(土曜日に一斉下校なるものはありました)。そう言えば札幌でも、班でまとまって行く(或いは帰る)と言った光景は「郊外」に比べてあまり見かけません。これは恐らく、ドーナツ化現象の影響で「都心部」と「郊外」での学区の広さに差が生じてしまっているのが原因だと思いますが・…(実際、都心部の小学校が「統合」すると言った現象は札幌でも生じており、市電の「創成小学校前」が、この4月から小学校の3区域分を統合した「資生館小学校前」になっています)。

/ゴエン(管理・責任者) (385)投稿日 : 2004年04月07日 (水) 23時15分 メール ウェブサイト
 そうですねぇ…。私が小学校6年間を過ごしたのは、まるで片田舎と言っていい場所でして、小学校に関しても、決して冬に温暖な地域ではないのに暖房がなく、給食の牛乳も冷たいまま出るという、まぁ、早い話が田舎社会ですね、そういう所で育ちました。
 加えて、一度転校しているのですが、最初の小学校(入学した所)は急激な開発で児童が急増し、総児童数が2600人を突破して日本で2番目のマンモス校になってしまったというとんでもない学校でしたから、転入生への対応で学校中が精一杯という状態でした。
 そして2番目の学校(卒業した所)は、ただ一言、文化水準が低い地域の学校でした。一方で、体育の研究校に指定されていたので、校庭にアスレチックだの一輪車だのが死ぬほどありました。
 そんな調子なものでしたから、時代遅れなものなら何かあったかもしれませんが、画期的なものなど無理に思い出そうとするだけ無駄な様な気がします。
 では、次の方、どうぞ。(爆)

■シャワー付き小学校/ゴエン(管理・責任者) (386)投稿日 : 2004年04月09日 (金) 23時04分 メール ウェブサイト
 そうそう、自分が通っていた学校の話ではないのですが、5年程前に仕事で、東京23区内の西の方にある、改築後間もない区立小学校を訪ねた事がありました。
 大都市部の小学校では砂塵対策として校庭を舗装してしまっている所が多いですが、この学校では改築に合わせ、大都市部以外では当たり前の土の運動場を採り入れました。では、砂埃はどうやって抑えているかというと、校庭の周囲に巨大な撒水機(スプリンクラー)が何台が備え付けられていて、土が乾いてきたら、これで水を撒くんです。夏の暑い盛りだと、校庭で遊んでいる児童達も「シャワーだ〜っ!」と自ら水を浴びたりするんだとか。
 でも、この学校には児童用に本物のシャワーもあるんです。小学校ですから、さすがに体育会系の部活用ではありません。シャワーがあるのは保健室。隅の方がシャワーカーテンで仕切られ、その内側にバスタブとシャワーが用意してあります。“お●っこ”や“う●ち”を漏らしちゃった子の体を洗うためなのだそうです。

■スプリンクラーなど/N1-Max北斗 (387)投稿日 : 2004年04月30日 (金) 22時16分 ウェブサイト
レスが大変遅くなって恐縮です・・・・。

結構プールなどではよく使っていましたが、本物のシャワーとは驚きですね・・・(^^;;;;)。大抵、水は上の方に給水タンクがあったのが当時主流だったのですが、今はきちんと校舎の隅々まで水道が行き渡っている学校、結構多いのではないでしょうか。私も土の運動場時代では確かに、スプリンクラーが存在しました(^^;;;)。

ちなみに北海道の小・中学校を見ると、やはりプールのある校舎は殆ど見かけません。代わりにスキー学習はあり、冬になると近くの山に板を持って行く小・中・高生の集団をよく見かけます(ただ最近はスキーもあまり振るわなくなったせいか、スキー学習を辞めている学校も多いみたいです)。

あとここに来て気づいた点では、夏休みが短くて冬休みが長いですね(と言っても、実際は長さ的にそれ程変わっていませんが)。

いかりや長介氏を悼んで
ゴエン(管理・責任者) (382)投稿日:2004年03月26日 (金) 00時48分 返信ボタン メール ウェブサイト
 既に皆様も御存知の通り、いかりや長介氏(72)が20日午後、癌のため永眠されました。23・24日に行われた通夜・葬儀・告別式を訪れた一般のファンは、合わせて1万3千人近くにも上ったといいます。私も無理に行けなくもなかったのですが、基本的には碇矢(いかりや)家の葬儀として行いたいという周辺の意向が事前にマスコミで伝えられていた事もあり、自宅で、出棺の様子を映すテレビに手を合わせました。
 訃報の翌日、私と同い年(31歳)である飯島愛がテレビで「ドリフは私の子供の頃の人生そのもの」と話していました。これは30代の大半に共通した思いでしょう。しかし同時に私の世代は、コミックバンドだった頃のドリフを知りません。かつてのドリフは楽器を弾きながら歌を歌っていたと初めて知った時には、驚きというより、意味が理解出来なかったものです。
 ところが20代前半ぐらいになると今度は、コメディアンだった頃のいかりや氏をよく知らない世代になります。元々は俳優ではなく、俳優になる前は一世を風靡したコントグループのリーダーだった事を訃報で初めて知って、驚いたり、それこそ意味が理解出来ない人達もいる様です。
 違う世代が、それぞれ違う「いかりや長介」を見て、どの世代もが彼の芸能を認めていた…。本人は「自分は全てを中途半端にしかやらなかった人」と言っていたそうですし、実際、何にでも手を出す人は往々にして何も大成しないものですが、この人は違いました。

 そんな、いかりや氏の訃報を知った時の私の第一印象は、驚きより「遂に…」というものでした。
 昨年末にフジテレビで、同局の人気番組だった「ドリフ大爆笑」の傑作選が放送されました。「ド・ド・ドリフの大爆笑♪」で知られるオープニングやエンディングの映像が20年ぶりに撮り直された事で話題になった番組で、コントは全て過去に放送されたものながら、番組の進行役は現在のメンバーが務めました。
 ところが、その進行役の中に、いかりや氏の姿だけはありませんでした。撮り直されたオープニング、エンディングには出演していましたが、エンディングの恒例であるいかりや氏自身による挨拶も今回はありません。結果として、番組では現在のいかりや氏の声は全く流れませんでした。
 番組では「いかりやさんはよそで営業しているから」という理由付けをしていましたが、それが嘘である事は容易に想像できました。ドリフ結成40周年の記念特番だったとはいえ、いかりや氏が満足に出演できない状態だったこの時期に、オープニングとエンディングの映像だけをわざわざ撮影し直したのは何故か…。
 この企画は、“何か”を知り、または勘付いていたドリフのメンバーをはじめ周囲の人達による、いかりや氏に対する“思い遣り”だったではないか…私はそう、薄々感じていました。
 コント時代は憎まれ役に徹し、強引な性格だとも芸能界の内外に流布されていた、いかりや氏。しかし、死去後のメンバーの談話によれば、いかりや氏はこの撮影の時“も”、体調が一番悪いのは自分なのに、それによって役目が重くなる他のメンバーを気遣っていたそうです。

 訃報を伝える新聞やテレビニュースなどの扱いが、想像を遥かに上回る大きさだったのに最初は驚いた私でしたが、恐らく、いかりや氏は戦後大衆文化史に永く名を残す存在となる事でしょう。
 いかりや長介氏の御冥福を、心から御祈り申し上げます。合掌。

■Re:いかりや長介氏を悼んで/ばた(^-^)ノ (383)投稿日 : 2004年03月27日 (土) 00時07分 メール
私は「俳優」「コント」のいかりや長介さんしか知りません。それも,「全員集合」についてはほとんど記憶がありません(毎週見ていたことだけは記憶があります)。ちなみに,父は「歌を歌ってたんだよ」と小さい頃に教えてくれたので,歌を歌っていた事実は知っているのですが,進行形で知っていたわけではないのでやはり実感がないですね。

ここ最近,メディアに顔を出してしゃべるときの声がかなりがらがら声みたいな感じでしたので「大丈夫なのか?」という疑問はありましたが,あまりに突然のことでしたのでびっくりしました。やはりこれに対しても実感が沸かず,2日くらいしてからやっと,と言った感じです。

私としてはやはり,ひとつの時代が終わった,という感じです。もちろんそう感じない方もいるでしょうけど,ドリフを見て育ってきた私はそう感じてしまいます。
私もこの場にて,ご冥福をお祈りいたします。

西宮冷蔵、復活
ゴエン(管理・責任者) (381)投稿日:2004年03月26日 (金) 00時14分 返信ボタン メール ウェブサイト
 一昨年の大晦日、この掲示板で「西宮冷蔵」という会社の話を取り上げたのですが、皆さんはこの会社の事をまだ御記憶でしたでしょうか?
http://bbs4.sekkaku.net/bbs/?id=goen&mode=res&log=36

 当時私は、この会社は廃業したと聞いていましたし、つい最近まで、そう思い込んでいました。
 ところが実際は「不正を告発した人が憂き目に遭うのはおかしい」と声を上げた消費者団体などの励ましに応え、廃業ではなく休業という形をとっていたのです。そして、支援者からカンパの一部で糊口を凌ぐぎりぎりの生活を送りつつ、残りを経営再開のための資金として積み立てていたそうです。
 今年1月、この話がテレビ朝日系列の「スーパーモーニング」で紹介されたのを契機にカンパの額が飛躍的に増え、積立額が経営再開のために最低限必要な800万円に達する目処が付いたそうです。そして遂に今月24日、冷蔵倉庫会社にとって生命線とも言える送電が再開されました。既に取引先の開拓も始まり、5月の連休明けにも名実共に経営再開に漕ぎ着けられる見通しだそうです。

 正しい事をした人は守られるべきだという“当たり前”に従って西宮冷蔵を支援し続けた人々と、それに応えて“正しい事をしたのに負けてはならない”という信念を貫いた企業経営者。この国にはそういう人達がいたという事実に、私は深い感銘と安心感を覚えました。(一方で、西宮冷蔵の経営危機ばかりか、その後の周囲の動きもろくに報じず、経営再開の目処が立った今となったら再び取り上げる報道各社の無節操ぶりには、呆れを通り越す思いです。)
 「800万円」は経営再開に最低限必要な額であり、経営危機の引き金となった約13億円の負債を返済するため、経営再開後も社長親子は当面、無報酬で働く事になるそうです。このため同社は、金銭や物品のカンパを引き続き受け入れています。私はこの動きを1か月程前に知ったばかりなのでまだ何もしていないのですが、正義を求める社会の一員として、私も微力ながら何か出来たらいいなと思っています。

メルマ!「西宮冷蔵を再建する会通信」:
 同社の水谷洋一社長が自ら、経営再建の経過を報告するメールマガジンです。
http://www.melma.com/mag/76/m00097976/




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