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担当:柳川貴代

[355] 『初稿・山海評判記』を読んで 兎影館管理人
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『初稿・山海評判記』の“山海”とは何なのか、“姫沼呉羽”はどこから来たのか、について調べてみました。

「山海評判記」(1929年・時事新報)の“山海”とは何なのかという、解けない謎を追い、当てずっぽうで「妖日山海傳」(1927年・朝日新聞社)を読む。著者の三上於菟吉は「雪之丞変化」などを書いた人気作家で、劇作家・小説家の長谷川時雨と暮らした。

三上於菟吉『妖日山海傳』は、父の病を治したい一心の娘が、婚約者と離ればなれになり、二人それぞれが魑魅魍魎的な人間のあいだを彷徨い旅するうちにともに悪人へ堕ちてしまい、やがて邂逅する江戸の悲恋の物語。
三上於菟吉は大正期の人気作家になり、渡辺温を思わせるような残酷でモダンな短篇も書いている。

どちらの“山海”も、各地の動物、植物、鉱物や妖怪、神々を絵地図とともに解説した古代中国の地理書「山海経」を踏まえたうえでつけられたものではあるのだろう。それでは『山海評判記』の女性の生き生きとした描写はどこからきているのか。

泉鏡花を応援する“鏡花会”や“怪談会”にも参加していた劇作家・小説家の長谷川時雨は、岡田八千代(小山内薫の妹で洋画家・岡田三郎助の妻)の親友で、大正12年に同人雑誌「女人芸術」を創刊している。

……ふと「山海評判記」の謎の女性“姫沼呉羽”のモデルは長谷川時雨なのではないかと思いついた。くれは…はせがわしぐれ…し「ぐれは」せがわ…と、長谷川時雨の中に呉羽があるではないか。

長谷川時雨は日本橋に生まれ、江木欣々(九条武子、柳原白蓮と並び大正三美人と呼ばれた)とも鏡花会で一緒に鏡花を応援する美しい才女。「水色情緒」では、駕籠に乗り江戸から加賀へ住み移る生娘、鏡花未生の鏡花の母へ、思いを寄せた。

1928年(昭和3年)女性作家の発掘・育成と女性の地位向上のため、商業雑誌『女人芸術』を創刊した長谷川時雨は、自身も親の命で18歳の時に望まぬ結婚をしその後離婚している。

長谷川時雨の雑誌『女人芸術』は、人気作家となった三上於菟吉の後援もあり、林芙美子、尾崎翠、野溝七生子、中条百合子(宮本百合子)、上田文子(円地文子)などがこの雑誌から世に出たという。

「山海評判記」冒頭、小村雪岱の挿絵に登場する床の間の猫の掛軸(呉羽の作)と最後に登場する虎が、三上於菟吉の「於菟」( 虎の異名/ 猫の異名)と重なることも気にかかる。

長谷川時雨と雑誌「女人芸術」、1920〜30年代にあらわれたモダンな“青帽女子”たちについての資料では、尾形明子著『女人芸術の世界 長谷川時雨とその周辺』(ドメス出版)、シュリーディーヴィ・レッディ著『雑誌「女人芸術」におけるジェンダー・言説・メディア』(学術出版会)がある。

……ということで、「山海評判記」における“姫沼呉羽”のモデルは長谷川時雨という仮説に辿りつきました。機会があればもう少しこの時代を調べてみたいものです。おしらさまをはじめ、民俗学的な読み方はもちろん、さまざまな読み方を愉しめる『初稿・山海評判記』です。

『初稿・山海評判記』
泉鏡花 作 小村雪岱 画 田中励儀 編
国書刊行会
装画=小村雪岱 装幀=柳川貴代

2014年08月10日 (日) 17時50分

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