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〜素晴らしきF1ムダ知識〜

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[170]ニキ・ラウダは航空機好き 投稿者:rat
投稿日:2005年08月22日 (月) 15時56分
ニキ・ラウダは引退後航空会社を起こした。それが「ラウダ・エア」。評判は上々だったが2000年に経営譲渡。ジャガーレーシングの顧問を務めたが、チーム離脱後また航空会社を設立したらしい。名称は「ニキ」。ロゴがかわいい。
既出ネタならゴメンナサイ。
(142)

[169]今宮さんが放送中にキレた事がある 投稿者:moza
投稿日:2005年08月16日 (火) 21時57分
1989年のポルトガルGP。
このレースは2戦後に控えた鈴鹿へ向けて、セナがプロストへの
得点差を詰める絶好のチャンスレースとなっていた。

レース中盤、マンセルがピットでリバースギアを使い逆走、これが
ペナルティの対象となりマンセルは二度三度と黒旗を受ける。
しかしそれを無視したマンセルは1コーナーでセナと接触、両者
コースアウト→リタイアの結果に。
キレる今宮さん。

「これは大変ですよ。これは大変な事になりましたよ!」
「これは大変な事だ!!」
「これはもう、セナを潰すためとしか思えませんね!!」
「こういう事が、グランプリで起こるとは情けないですね!」
馬場アナが
「1コーナーで・・・とんでもないドラマといいますか」
すかさず今宮さん
「これはドラマじゃないですよ#」
馬場アナ
「モータースポーツを心から愛する今宮さんが、今腹を立てていますが・・・」

コマーシャル明けには普通の喋りに戻りましたけどね。
(151)

[168]セナに送る天の祝福 投稿者:moza
投稿日:2005年08月16日 (火) 00時19分
1991年ブラジルGP。当時セナには「地元で勝てない」という
ジンクスがあった。PPは獲れるのだが、失格や巻き添え事故などが
続き、マクラーレンをもってしても勝てなかった。

しかしこの年、ついに念願が成就。この際、ファイナルラップに入った
瞬間から晴天だった空が、どこから集まってきたのか一転黒い雲に
覆われ始める。
最終コーナーひとつ手前のカーブでは完全に景色が真っ暗となり、
セナがチェッカーを受けると同時に大粒の雨が降り出した。

まさに豪雨。雷も轟き、セナは第一コーナー後のストレートでマシンを
止め歓喜の絶叫。その声は中継でも捉えられ、観衆の大歓声とともに
感動的なワンシーンとなった。

現在でも「伝説の涙雨」として印象深い1シーンです。
(153)

[167]レース中多くの観客が乱入した事がある 投稿者:moza
投稿日:2005年08月15日 (月) 21時49分
アテネのマラソンのあのおじさんや、レース終了直後じゃない、
まさに真っ最中での出来事。

1970年の最終戦メキシコGP。すでにチャンピオンも決まり
消化試合となったこのレースにファンが退屈したのか、はたまた
お国がらか(^^; ホームストレートやバックストレートに人が
降りる降りる。その数約30数人!

当然ながらレースはそれらを避けて通る危険なものとなり、結果人身
事故こそなかったが、スチュワート(ティレル)が犬を跳ねてしまい
サスペンショントラブルでリタイアという珍事が起きた。
以後86年までメキシコGPは中止となり、同レースで6位となった
ロドリゲス(BRM)も泣きながらコメントするなど、メキシコに
とっては大変な事態となってしまった。
(139)

[166]死後蘇生したドライバーがいた 投稿者:moza
投稿日:2005年08月15日 (月) 11時22分
1977年イギリスGPの予備予選。LECマーチのデビッド・パーレイ
は連鎖的に起きたリアウイングの破損とブレーキトラブルにより
クラブコーナーでクラッシュ。

わずか数10センチの間に180km/h→停止の衝撃を受けたため約60Gの
荷重を受け、全身多発骨折。病院に搬送されたものの心臓も停止して
おり一時は死亡と宣告された。

しかしその日のうちになんと心臓が鼓動を取り戻し、なんと以降無事
退院できるまでに回復。首と脊髄に損傷がなかったため、半身不随に
なる事もなかったという。生還伝説では一番ではないだろうか。
だが彼は1985年に飛行機事故で死亡。奇跡は二度続かなかった・・・

当時のギネスブックでも、「最高重力から生還した男」として
紹介されている。
(160)

[165]ほろ苦いデビュー戦 投稿者:moza
投稿日:2005年08月15日 (月) 11時08分
パウロ・バリラは1989年日本GPでデビュー。
しかしフォーメーションラップ直前に消火器のボタンを押してしまい
ホームストレートをもうもうたる白煙に包んでしまう。

他のドライバーや関係者の白い眼の中、焦ったかバリラはスタートで
エンスト、もはや混乱状態。なんとかスタートを切る事が出来たものの
一周も回れずにクラッチを壊してリタイヤ。

そうとう鬱になったか、しばらくマシンから出てくる事のできない
バリラでした。
(125)

[164]大々的な放送事故がF1で起きた事がある 投稿者:moza
投稿日:2005年08月15日 (月) 10時57分
1989年のモナコGP。コマーシャル明け「さあスタートだ!」と
思っていたら、いきなりブランドル(ブラバム)の猛スピードの
映像が・・・・

「あれ?フォメーションラップにしちゃ速過ぎない?」と思って
しばらく見ていると、ピケ(ロータス)vsチェザリス(ダラーラ)の
ヘアピン接触事故や「周回遅れになりました」との発言が。

「おいおい。今何周目ですか」と思ったらいきなり
第一コーナー過ぎの坂を駆け上がる密集群。そうです、いきなり
レース後半→スタート直後の順に映像が流れたわけです(^^;

レース中「お見苦しい映像がありました事をお詫びいたします」の
テロップが流れ続けていました(笑)
(129)

[163]逆走して失格になったドライバーがいた 投稿者:moza
投稿日:2005年08月13日 (土) 18時49分
合わせて三人。

1960年第7戦ポルトガルGPのスターリング・モス(BRM)。
1971年第4戦オランダGPのレイネ・ウィセル(ロータス)。
1971年第7戦ドイツGPのマイク・ボイトラー(マーチ)。

いずれもスピン後の出来事で、方向感覚を失ってしまったのか(^^;
特にモスにいたっては、初開催のサーキット(オポルト)だった事も
あってか、堂々とピット前のホームストレートを逆走する始末。

古き良き時代の出来事と言えましょう。
(132)

[162]女性ドライバーは 投稿者:moza
投稿日:2005年08月13日 (土) 00時48分
F1の歴史で5人誕生していた。

初の女性F1ドライバーは1958年、第4戦ベルギーGP(スパ)で
デビューしたマリア・テレーザ・デ・フィリッピス(マセラティ)。
3戦出走し、最高位はデビュー戦の10位。

以後は
前述1975年のレラ・ロンバルディ、
1978年のデイビナ・ガリカ、
1980年のデジレ・ウィルソン、そして
1992年のジョバンナ・アマティと続いていく。

CARTでもダニカ・パトリックが活躍している現在、
F1でも女性実力ドライバーの出現を期待!
(126)

[161]女性ドライバーがF1の決勝において 投稿者:moza
投稿日:2005年08月13日 (土) 00時39分
ポイントを獲得した事がある。

1975年4月27日の第4戦スペインGP(モンジュイック)。
エンバシー・ヒルに乗るロルフ・シュトメレンが観客席に飛び込む
という事故で短縮終了となったこのレース、マーチを駆っていた
レラ・ロンバルディが、終了時6番手を走っていたんです。

しかしながらレース短縮となったため、得点は通常の半分となり
(当時は6位で1ポイントだった)
0.5ポイントという記録が残ります。
後にも先にも、女性ドライバーでレラに迫る人物は、30年たった
現在でも、まだ出ていません。
(140)

[160]バリチェロとトミ・マキネンはすごく似てる 投稿者:ガス
投稿日:2005年08月09日 (火) 16時51分
似すぎとピーコくらい。
(132)

[159]現ウィリアムズレギュラードライバー、M・ウェバーとN・ハイドフェルドは過去にル・マンで同じチームで出走していた。 投稿者:通りすがり
投稿日:2005年06月06日 (月) 16時00分
第67回(1999年)ル・マン24時間耐久レースでのことで、AMG Mersedesから出走していました。
但し、マーク・ウェバーは4号車、ニック・ハイドフェルドは5号車をドライブしていました。

ちなみにこの年、AMG Mercedesはマシンが空中に吹っ飛ぶ大事故を起こし、
その後自主的にリタイアした事は記憶に新しいかと思います。
(128)

[158]王者フェラーリ 投稿者:TS
投稿日:2005年05月14日 (土) 14時29分
リアウィングを二枚付けて走ったマシンがある。

解説:フェラーリ126C2 1982年

 レギュレーションの隙間を縫ってせこくウィングを着け,
ダウンフォースを稼ぐのはレーシングデザイナーの常套手段である。

 しかし…F1界の王者フェラーリはスケールが違った!!!!!
驚くなかれ、なんとリアウィングを横に2枚も着けてしまったのだ。

 当然、当時もウィングの全幅は決められているが、
2枚着けてはいけないという規則がなかったのである。

 しかし、ライバルチームの2倍のリヤウィングで、
ブッチギリで優勝したかと思えば、3位入賞どまりにおわり、
しかもレース後失格となったレースもある。

 しかし、王者フェラーリでなければ,公式練習後に失格となったで
あろうから、ゴリ押しでも走り切ったあたりはさすがである。
(119)

[157]井上隆智穂 投稿者:TS
投稿日:2005年05月14日 (土) 13時49分
井上隆智穂は、マーシャルカーに轢かれただけでなく、
マーシャルの牽引する自分のマシンにも轢かれた事がある。

当時は日本人と言えば、「悲哀感漂う]イメージが付き物でした。
我らが琢磨 頑張れ!!!!
(141)

[156]ファステストラップ 投稿者:TS
投稿日:2005年05月13日 (金) 19時09分
93年のヨーロッパグランプリ、ドニントンパークサーキットにおいて
セナがファステストラップを記録しているが、
その周回はピットレーンを通過している。

詳細:ドニントンパークはレイアウト上ピットを通過すると
1周の距離が短くなる。
現在はピットレーンの速度規制があるが、当時は規制がなく、
セナは狭いピットレーンをフルスロットルで駆け抜けたのだ。

恐らくはタイヤ交換をするつもりであったのだろうが、
何らかの理由でピットにストップせずにそのまま通過していった。
ピットクルー達はさぞかし怖かったことであろう。

とにかくそのレースは伝説とも言うべき名勝負で、
セナはコーナーで、そのまま行くとグラベルに飛び出すのは確実と
思われるところを、何事もなかったかのように駆け抜けていく。
ペアピンでもあたかもセナだけドライで走っているかのように、
すさまじいブレーキングでプロストを抜きトップの座をうばった。

そして、不安定な天候の中プロストを含む多くのドライバーが、
タイヤ交換を繰り返し自らの順位を落としていく中、
セナは何事もなかったかのようにトップでレースを終えた。

長々と済みません。F1と聞くと居ても立ってもいられないたちで…。
しかも男です。リンク辿っていたらなぜかここに行き着きました。
(131)

[155]キミマティアス 投稿者:
投稿日:2005年05月09日 (月) 23時03分
ライコネンはF1参戦当初、あまりにも経験が少ないということでスーパーライセンスが仮免だった。
(158)

[154]メキシコです 投稿者:バンク
投稿日:2005年03月21日 (月) 11時50分
右京さんの体調不良のことですが、92年のメキシコGPですよ。
(124)

[152]富士スピードウェイでF1をやらなくなったのは死亡事故のせい 投稿者:RYORYORYO
投稿日:2005年03月05日 (土) 03時10分
76年と77年にF1を開催した富士スピードウェイだが、この2年間しか開催されなかったのは77年の日本GPでG・ヴィルヌーブがコースアウトして、立ち入り禁止場所に侵入していた観客に突っ込み、死亡させてしまったしまったことによる。
(146)

[151]バリチェロはアーバインと間違えられたことがある 投稿者:風埼(新潟県)
投稿日:2005年02月18日 (金) 17時16分
2001年シーズン第2戦マレーシアGPでのこと。スタートから快調に1−2態勢でとばしていた
フェラーリでしたが、突如振り出した雨に足を救われトップのシューマッハがコースオフ。
復帰しようとするシューマッハの前にバリチェロもコースオフしているのが映りました。その後、
レインタイヤに換えるべく同時にピットインしたフェラーリ2台でしたが、先に入ったバリチェロの
後ろでシューマッハは待つ形になりました。この時、実況を担当していたアナウンサーは
「あー、アーバインの後ろでつっかえる形になっています!」と言っていました。
(よりによって2年前のドライバーと間違えるか・・?)
(151)

[150]セナ&ミハエル 投稿者:AKIRA
投稿日:2005年02月16日 (水) 23時01分
ミハエルは自転車でセナの足を轢いたことがある
(181)



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