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  「奥の細道」⇒ 巻石・袖の渡り

海晴(かいせい)

「奥の細道」⇒ 巻石・袖の渡り
      
  「巻石」付近   「袖の渡り」の標柱

「巻石」、「袖の渡り」といった歌枕の場所は不明確だが、「巻石」は住吉
神社横の小さな島(左の写真)の北端に岩が少し顔を出していて、その岩を中心に水流が渦巻いていたからだとされている。(水位が高くなったせいか、見えなかった)
一方、「袖の渡り」もこの付近であったとされている。 義経が平泉に赴く
途中ここの渡し船を利用して、船賃の代わりに小袖を千切って船頭に渡し
たという古事に基づいて名付けられたと言う。曾良の日誌によると芭蕉達は住吉神社(左写真の道路左手沿いにある) に参詣したとあるので、この地に来て「巻石」や袖の渡り」を確認したのであろう。  石巻から「平泉」に向かうには、ここから柳津、登米経由で、北上川沿いの土手道や田圃道を約70`北上し、まず一関に達しなければならない。芭蕉達は、途中登米に1泊しただけでこの距離を歩破しているが、泥土に足をとられ疲労困憊
したと記している。  稲を刈り終えた北上川沿いの景観は、現代でも概ね
殺伐としており、逆風下、一関までの長距離走破には当方も些か辟易した。

《 刈田行く みちのく行脚 雲遠し 》 乱志

[1070]2009年04月21日 (火) 16時57分



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