海晴(かいせい)
「奥の細道」⇒笠島
《 笠島は いずこ五月の ぬかる道 》
笠島」には、平安中期に陸奥守を務めた歌人藤中将実方を祀る道祖神社がある。実方は小野道風、藤原佐理と並ぶ三蹟の一人と讃えられた能書家の藤原行成と諍いを起こし、行成の冠を投げ捨てたため、時の帝から「歌枕でも見てまいれ」と陸奥にとばされたと伝えられている。その後、実方は道祖神社の神前を乗馬したまま通過しようとして神罰を受け、落馬して落命、結局京には戻れなかった。
悲運の歌人である。 西行法師は「朽ちもせぬ その名 ばかりを留め置きて 枯れ野の薄 形見にぞ見る」と憐れんでいる。 芭蕉が此の地に達したのは梅雨最中の陽歴6月20日で、ぬかるみを長距離歩いて疲れ果て、立ち寄りを予定していたこの歌枕は望遠しただけで断念している。したがって「笠島はいづこ・・」となった。
「古人も多く旅に死せるあり」という「奥の細道」の記述に際し、芭蕉の念頭に浮かんだ「古人」の一人が、このヤンチャ貴公子であったかも知れないと想像すると一抹の哀歓が湧く。
《 京慕う 声無くも聴く 秋の風 》 乱志
[1027]2009年02月28日 (土) 12時26分
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