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お持たせ展示館

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  奥の細道⇒ 可伸庵

海晴(かいせい)

可伸庵(軒の栗 等窮庵)
《 風流の 初めやおくの 田植えうた 》
 可伸庵  芭蕉 句碑 
須賀川で芭蕉が世話になった「等躬」こと相楽伊左衛門は当時52歳。須賀川宿筆頭格の役人で大変な顔役であった。 俳句の宗匠になるに際して非常な恩義を受けた人物なので、芭蕉は服装を改め威儀を正して等躬邸を訪れた云われている。

当日の午前中は等躬の家では田植えが行われていており午後になって地元の歌仙を集めて句会が開かれている。当時、等躬邸の一角に庵があり隠遁僧「可伸」が住んでいて、その庵の傍らに大きな栗の木があった。
 芭蕉はこの「可伸」の生き様に非常な感動を覚えて「 世の人の 見つけぬ花や 軒の栗」と詠って讃えたと云う。現在の模造庵にも小さな栗の木が一本植えられていて丁度実をつけ、軒下に小さな山栗が沢山散乱していた。芭蕉は此処で8日間逗留している。

《 落ち栗や 拾う手もなし 可伸庵 》 乱志

[989]2009年01月11日 (日) 22時06分



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