海晴(かいせい)
満願寺 関山頂上の「満願寺」跡
白河関に続いて関山(せきさん)の「満願寺」に向った 。江戸後期の「東遊雑記」という資料によると「さして高山にはあらざらねど、独立の山にて険阻の坂道、十四曲がり、登ること十七丁、屏風を立てし如き坂道なり」 となっている由。実は、今回の行脚で最も緊張したのはこの寺跡への登坂であった。先人が記録しているとおり、曲がりくねった急峻な山道が各所で雨水に抉られており、小型4駆車でないと無理な狭い急坂が約2キロ続く。両足を地に擦りながらバイクの体制をかろうじて保ちなんとか登り切る。
寺跡の前には50坪程度の駐車ができる空き地があり、その先は金属の鎖が張られ進入禁止の止札が掲げられていた。標高は620mである。狭い岩石だらけの急峻な下りには全く肝を冷やした。市内で「せきさん」と尋ねれば誰でも知ってはいるが、登ったことのある人は殆どいないだろうと云われた。
実は、ナビ用に「満願寺」の電話番号をNTTから取得して事前にセットしておいたが、現地からは数キロ離れた別の寺に誘導されてしまった。その寺が廃寺となった名刹の管理権を持ち、電話番号も登録してあったという次第で、2時間近くも無駄にしてしまった。ナビ利用上のひとつの盲点である。
《 秋の暮れ 仏頼みの 山下り 》 乱志
[988]2009年01月11日 (日) 21時59分
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