海晴(かいせい)
遊行柳 《 田一枚 植ゑて立ち去る 柳かな 》 芦野の「 遊行柳 」入口 芭蕉句碑と 詠まれた「田」
那須湯本から「遊行柳」のある芦野までは24kmあり、不案内の山道や田圃道で芭蕉は難渋したと記している。 歌聖「西行」法師に私淑することの深かった芭蕉が、歌枕「遊行柳」に拘った気分はよく判るが実際に訪ねてみると、名所としては誠にあっけない。
突き当たりに小さな鎮守の社がある農道の中間に、昭和49年に植え直したという余り姿の良くない柳の老木があり芭蕉の句碑や説明板も雑然と立てられているが水路は設けられていない。「道野辺の 清水ながるゝ 柳かげ しばしとてこそ たちどまりけれ」と西行が詠ったことが発端で有名になったのであるから流水があって柳が添えられなければ様にならない。
尤も、この歌は鳥羽上皇が当時の歌人を集めて旅人が清水の流れている柳の蔭で休んでいる襖絵を題材にして歌を詠ませたときに西行が吟じたもので、実際に芦野で詠ったものではないと云われている。周辺一帯は田圃で、水田が広がっているだけなので国道のバイパスからも望遠できる。サルビアが満開。
《 サルビアの 紅に惹かれて 遊行かな 》 乱志
[986]2009年01月11日 (日) 21時39分
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