海晴(かいせい)
殺生石 《 石の香や 夏草赤く 露白し 》
殺生石 入口 (芭蕉 句碑)
高久の覚左衛門邸に2泊した芭蕉は翌日那須湯本の「温泉神社」(温泉大明神)近くの五左衛門宅に宿をとった。「那須与一」が源平の合戦で扇を射る際に念じたのは、実はこの「温泉神社」で金丸の「那須神社」ではないという説のほうが有力。
「殺生石」はこの温泉神社の右手の硫黄谷にある。 硫黄泉から噴き出る硫化水素や亜硫酸ガスの毒気で鳥獣虫類が被害に逢うということで殺生の名が付された由。芭蕉は「野を横に 馬牽むけよ時鳥」の句も残しておりその句碑もある。
《 句碑覆う 香にかしぐ すすき哉 》 乱志
[959]2008年12月24日 (水) 16時30分
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