海晴(かいせい)
雲厳寺 《 啄木鳥も 庵は破らず 夏木立 》 ( 山 門 ) 鐘 楼
芭蕉は「雲厳寺」にある「仏頂」和尚の山居の跡を見ようと山門を潜った。 仏頂和尚は常陸の国の根本寺の住職であったが鹿島神宮との領地争いを幕府に提訴するため、江戸深川に滞在していて芭蕉と縁をもち参禅の師となった。
芭蕉は仏頂和尚が「たて横の 五尺にたらぬ 草の庵むすぶもくやし 雨なかりせば」と詠っていた山居跡を是非訪ねて故人を偲びたかったので、黒羽滞在を延ばして村人の案内を受けて参禅したのだと云われている。この寺は有名な古刹であるが、城県と福島県との県境にある「八溝山」に向かう山道の中途にあり辺鄙不便なため参詣人は少ない。訪問した際には誰ひとり居なかった。
《 落葉降る 朱橋の先に 石の段 》 乱志
[957]2008年12月24日 (水) 16時09分
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