海晴(かいせい)
夏山に 足駄を拝む 首途かな》 西教寺 鹿子畑翠桃の墓石
芭蕉一行は、全行程の一割近く(14日間)を黒羽城代家老浄法寺桃雪、鹿子畑翠桃 兄弟の世話になって黒羽に滞在、逍遥して「大雄寺」や「雲厳寺」などにも出掛けている。
「西教寺」の近くに土塁を築いて建てられていたという翠桃 の豪邸跡は、現在田畑になっている。 屋敷跡の一角に苔蒸して文字の読めなくなった貧弱な墓石が侘しく残されている。
《 露宿る 薄の蔭の 墓石かな 》乱志
[948]2008年12月13日 (土) 10時32分
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