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お持たせ展示館

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  奥の細道  閑話休題

海晴(かいせい)

「奥の細道」を実際に辿ってみると、何と言っても芭蕉一行の健脚ぶりに驚かされる。

1日目:27km、 2日目:37km、 3日目:43km、 4日目:29km、 5日目:26km、 6日目:29km、19日目:15km、21日目:16km、23日目:44km、24日目:28km、25日目:11km、32日目:22km、33日目:48km、34日目:21km、35日目:29km,36日目:52km、40日目:18km、41日目:20km、42日目:30km、43日目:38km

といった調子で、以降も1日に40km程度は普通にこなしている。多くは田畑の中の畦道をやや拡張した程度の砂利も敷いていない悪路を、藁草鞋をすり減らしながら進むのであるから現代人には想像もできないほどの難渋が伴ったに違いない。

このことから、伊賀上野の出身でもある芭蕉はプロの「忍び」で裏の任務を負った人物ではなかったかという推測もされている。旅烏、旅芸人、股旅、旅稼ぎ、裏街道といった言葉に象徴されるように、この時代「旅人」にまつわるイメージは現代とは異なり、必ずしも明るいものではなかった。 

最近出版された図書に「悪党芭蕉」というのがあるが、筆記具を持ち歩き各地の事物を観察して書き留めるのが常態になっている俳人は情報収集人が化けるには非常に適した稼業である。この視点で「奥の細道」を眺め直して見ると、特定地での長期滞在や、中途での随行者との別行動などにも何か格別な意味があり、やはり旅の本質は「隠密」活動の一環であったのではないかと勘繰ることもでき面白い。

[947]2008年12月13日 (土) 10時17分



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