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メールで問い合わせがあったので、事実確認と鐵太郎の解釈を。 どうもメールの発信に不安があるのでこちらに書きます。
北方のケ号作戦、つまりキスカ撤退作戦は、第一水雷戦隊に対して下令されています。つまり、この任務において、 @具体的な作戦立案 A艦隊編成 B現場での判断と処置 C成功失敗の評価を甘受する という責任は、作戦の指揮権と共に、連合艦隊司令部より一水戦司令官木村昌福少将に与えられているのです。さらにこの作戦には第一潜水戦隊の古宇田武郎少将も露払いとして参加していますが、撤退戦自体の指揮権は木村少将にあります。 第五艦隊にはありません。
ここで第五艦隊による「援護」(Wikiでは露骨に「督戦」としていますが形式としては「援護」)を受けます。この状況は、無理に会社での仕事にあてはめるとこんなものではないかな。
特殊なプロジェクトを社長から任された木村課長が自分のチームを率いて業務を行っているとき、その進み具合に不満のある課長の上司で或る河瀬部長が乗り出し、課長の後に臨時に自分の机を置きます。 ここで神重徳大佐は、部長直属の係長と言ったところか。木村課長の部下ではない。 プロジェクトに直接責任のないその集団が、何かあれば(おそらくは善意で)手助けしようと後で待機している状況の中で、神係長がここぞと言うときに 「いまこそやるべきです!」 と河瀬部長に言ったところで、現場で苦しい判断をしようとしている木村課長にとって、雑音でしかない。仮にそれが正しいとしても、やるべきだと判断する責任と権限を持っているのは木村課長です。
こう考えたので、鐵太郎としては神大佐の言葉を重視しません。
>この言葉を持ってこの人の見識が高かったと判断できません。結果を見てその結果を予言した人をほめているようです。意味がない、と思う。
と書いた所以です。 |
[1242]投稿者:JerryFish
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投稿日:2015年09月15日 (火) 00時52分 |
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鐵太郎様
雑感を拝読して。
鐵太郎様の雑感を拝読して、納得の行く部分が大きく、 また少し、自分の語るべき足らなかった部分もあると、 感じたので書き込ませていただきます。
まさしく、1水戦と木村提督に与えられた任務と権限・ 艦隊編成とそれに伴う、責任があり、「部外者は雑音」 でしかないという、所謂、命令系統は明確ですね。
で、私の脳髄に浮かんだのは日本陸軍の「八甲田山 死の彷徨」です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E5%B1%B1%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%BD%B7%E5%BE%A8#.E5.AE.9F.E9.9A.9B.E3.81.AE.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.81.A8.E3.81.AE.E7.9B.B8.E9.81.95
まあ、ノンフィクションをベースにしながらも、 脚色が付け加えられてますが、問題はそこではないです。
ほぼ、総員が遭難にあった青森第5連隊この大部隊を引率したのは神成大尉の筈。が、やはり随行した山口少佐が指導的立場から助言を行うが、最終的には指揮権を奪取したも同然の形になってしまってます。
遭難したのには多数の背景がありますが、この指揮権奪取が一大原因かもと思われる点です。
・・・結果は、鐵太郎様、ご存知のとおりです。
陸軍と海軍ではどの程度の命令系統(命令そのもの)の遵守も。)する風土がどれぐらいの程度、違うかは分かりません。
一方で海軍では? 田中頼三中将は連合国からは賛美され、大日本帝国では、 あまり高い評価は付いてません。私としても評価に迷う面が あります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%A0%BC%E4%B8%89
まあ、戦闘においては最重要任務だったドラム缶輸送を キッパリ捨てての戦果ですからね。ドラム缶輸送も、 大事ですが輸送する自艦隊が沈められるよりも・・とか、 普段から貴重なワークホースの駆逐艦(それも華の2水戦の!)を輸送に否定的なのを隠してもなかった様でしたし。
命令の遵守は海軍に於いても、完全とは言いがたいかと。
キスカで懸念された事は、木村提督に付いてきた「援護(督戦)」司令部の越権行為ですね、私が鐵太郎様の雑感を拝読して、自分の言葉足らずで懸念されたのが、まず木村提督に付いてきた「第5艦隊司令部の」遅疑逡巡です。
あの場に私が居合わせた訳ではないですが、最悪の場合、「八甲田山 死の彷徨」の様に第5艦隊司令部が木村提督の権限を半ば奪い、
現場で悪戦苦闘してる木村配下の艦隊の「木村提督の第一回目の引き上げ」の根拠を隠れ蓑にして、及び腰になった第五艦隊司令部が、その当日(7月28日)前に帰還命令を出さなかった可能性があったか?ということです。
28日での木村提督の「翌29日作戦決行の電報」と神重徳艦長の進言は、第5艦隊司令部の状況から観るに、順序から言えば神重徳艦長の方が先のようです。
ということで、(結果的にですが)第5艦隊司令部の困惑振り(強腰→弱腰)を、取りあえずは鎮め、木村提督の作戦に第5艦隊司令部の雑音や、果ては決行中止命令(?)を、深くも考えずに神艦長は押しとどめたのか?
と、愚考します。 夜分の書き込み失礼しましたm(__)m。
JerryFish
追伸 ノートPCを新規購入しました。勿論、OSをXPから、10に新規対応させるためです。コンピュータ名を「H.M.Sサザランド号」にしたかったのですが、取りあえず帆船のほうの如く大破されちゃかなわないんで、「yukikaze」と名づけました。まあ、こちらも、SFと現実の狭間での言霊的な感じを受けたので。この書き込みも「yukikaze」での初書き込みです。
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[1243]投稿者:JerryFish
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投稿日:2015年09月15日 (火) 05時27分 |
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追伸その2
>この言葉を持ってこの人の見識が高かったと判断できません。結果を見てその結果を予言した人をほめているようです。意味がない、と思う。
と書いた所以です。
●当然のことながら、私の書き込みは上記のお言葉を撤回させよう等と大それたことは考えておりません。あくまで、自分の考えを述べてる意味があるのみです。 |
[1244]投稿者:鐵太郎
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投稿日:2015年09月15日 (火) 19時12分 |
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なにか話が噛み合っていないところがあると思うので、追記。
鐵太郎はこう思っています。
この作戦の実行責任者は一水戦の木村司令官です。 「キスカ」の本によると、第五艦隊は一水戦が作戦行動を行っている様子が、へっぴり腰の臆病者に見えたため、一水戦の尻を叩くために、つまり文字通り督戦のために第二次撤退作戦に参加したとあり、一水戦の司令部としては不快であったという。 俺たちに命ぜられたのに、俺たちを信用していないのか、と。
粛々と一水戦が作戦を続けているとき、第五艦隊が迷おうが怒ろうが突っ込むべきだと叫ぼうが、だからどうなのか。現場の作戦行動の中では雑音でしかないと思う。 これは、部下を信頼しない、なにかというと口を出して責任を取らない上司の態度そのものに見えます。軍における命令系統がありますから、単純にそのアレゴリーは当てはまりませんが。 いずれにしても、キスカ島に接近する一水戦の面々は、五艦隊司令部がそのとき何か言ったにしても聞こえていません。知りません。
第五艦隊司令長官あるいは神大佐がなにを言おうが、そしてその結果通りになろうが、 >この言葉を持ってこの人の見識が高かったと判断できません。結果を見てその結果を予言した人をほめているようです。意味がない、と思う。
ということです。 とかくこう言う成功譚に対しては、俺もその作戦には関わったんだ、俺は影でこんなふうに励ましていたんだ、などという「後日談」がよく出てくるもの。この話もそんなたぐいではなかろうか。 第五艦隊司令部での会話は、この作戦の中で大きく取りあげるべき事柄ではない、脇の些事に過ぎないと思っています。 |