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[1233]鐵太郎様、解説フォロー御回答有難うございます。 |
投稿者:JerryFish
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投稿日:2015年08月21日 (金) 18時56分
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鐵太郎様
今晩は(^^)。ご体調の優れない中での、私の呈した疑問に対する補足解説有難うございますm(__)m。何はともあれ、鐵太郎様のご体調が心配です。できればご無理をされないようにと願っておりますが。
さて、本題に入ります。
★この方が行ったことが、のちの歴史の中で大きく取りあげられなかったことが、この方の奥ゆかしさの故ではないのか、と思ったからです。
●成る程。鐵太郎様の書評文を最初から最後まで注意深く読め切れなかった私に責任がありますね。
鐵太郎様の書評文中の
「この人の回顧録を、オーラル・ヒストリーのかたちで残そうと考えた人々がおり、この本がまとめられました。 戦前の名をあげた人物であり、かつ戦争に当たって責任を負うべき立場であったからか、その口は重く、彼の言葉で歴史を残したいという次男・貞寛さだひろ(海軍主計少佐)と岡田の娘婿・迫水久常さこみず ひさつね(戦前・戦後の大蔵官僚、政治家)の説得でようやく口を開いたとのこと。」
まさしく岡田氏の周囲の方々の、この決断と説得が無ければ、正しく岡田氏は決して語ることなく歴史の闇から闇へと消えていく種類の報われない偉人として生涯を終えていたことでしょう。
それを考えれば鐵太郎様の書評部分、 「終戦に至る中で岡田氏がどのような役割を負ったのか、それは書いてありません。自分はこう終戦に貢献した、と言わないのはこの人の矜持なのか、人柄なのか。」 これはまさに奥ゆかしさ?矜持?お人柄?の的を得た文章であると愚考します。
まだまだ、私も修行が足りませんね。 それでは鐵太郎様のご快復を願いつつ、 失礼しますm(__)m。
JerryFish |
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