今年は動応1,2年両方解剖したんだよね?新カリキュラムになったから仕方ないんだろうけど、3,40頭のヤギを集めるのは大変だったんだろうな・・・。うちらの年は半数が、動物園で増えすぎたために処分されちゃうヤギたちで、半数は買ってきた子たちだった。増えすぎたために処分ってとこも聞き捨てならないけど、そんだけの数を確保するのもたいへんなのに、40頭は多すぎだよね。
1年生で解剖ってのも早すぎる気がするよ。2年でも早いなと感じてたのに、1年生でどれだけ消化できるんだろう。そりゃいい経験にはなるだろうけど、「すごかった!」だけじゃ解剖する意味がないよ。
学科長の有嶋先生は「動応の学生のなかには、動物にかかわる大学をでても、このさき二度と解剖する機会がない人が大勢いるわけだから、動物にかかわった仕事をしていく上でも生命についてその本質をしってほしい。」っていってた。だから、獣医では学生にはさせない、放血からはじめるらしい。中にはどうしてもしたくない人がいるだろうから一応選択科目にはしてるんだって。
どうせ殺されちゃう命なんだから、有効に使わなきゃってのもわかるし、今はそれでいいと思う。でも、考えなきゃと思うのは、そんなに簡単に殺されちゃう現状なんじゃないかな。今はそうやって解剖を正当化できるかもだけど、このさきそういう動物が減ってきたときに、結局殺すために動物を作り出さなきゃいけなくなるんじゃない?そのときになって考えるんじゃなくて、今からでも本当に必要な解剖なのか?実験なのか?ってのは考えなきゃいけないよね。
おれ個人としては、動応に解剖実習は必要だと思う。でももっといいやりかたがあるのではないかとも思う。