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バッハ(15) |
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グッキー
(16)投稿日:2003年01月31日 (金) 00時07分
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ショールズのいう妥協とは、いくつかの音階が収まるように、音階中の 個々のピッチを上げたり下げたりすることを意味した。しかしショールズが 指摘するように、若干の音階は中全音律パターンから全く離れてしまって、 使用不能となる。初期の音楽ではロ長調、嬰ハ短調といった、ごく当たり 前の音階がほとんど見られない。しかしバッハは例外であった。アンドレアス・ ウェルクマイスターの『音楽の平均律』(1691)を手がかりに、バッハは オクターブを十二の楽音にほぼ平均して分割した。この妥協手段ではどの 音階も完全無欠とはならず、あらゆる音階にわずかの不完全さが残るが、 この不完全さは耳が許容するに足る些細なものであった。バッハ方式なら、 どの音階にでも転調できるようになり、十二の音のいずれもが主音の役目を 果たすことができた。彼はこの調律法でどんなことがやれるかを例証する ため『平均律クラビーア曲集』を作った。二巻に分かれ、四十八の前奏曲と フーガを含んでおり、それぞれ二曲ずつ長短の全音階で作曲されている。 近年、バッハの音楽象徴主義に関して多くの著作や論文が書かれている。 このアイディアを提唱した最初の一人は、アルベルト・シュヴァイツァーで あった。彼は、バッハが基本的に音を用いた画家であっただけでなく、しばしば 自分の作品中に恐怖、悲しみ、希望、物憂さなどの特別の心理動機を注入した、 と主張した。シュヴァイツァーによると、この動機の意味を解明しない限り、 バッハの作品を解釈することは不可能であるという。シュヴァイツァーの主張の 大半は、今日では否定されているが、ただ少数のバッハ専門家の間では、 バッハの音楽から宗教や数字の象徴を読み取る茶の間遊びが以前行われている。 数字をアルファベットの文字に置き換えてみる試みは、バッハ時代でも時々 行われていたようである。カール・ガイリンガーが1966年に発表したバッハ伝 から引用すれば――「例えば14はBACHを象徴する数字である(B=2、A=1、C=3、H=8)。 これをひっくり返すと41になり、J.S.BACHを表す。すなわちJは (アルファベットで)9番目、Sは18番目の文字であり、9+18+14=41 となるからだ。バッハの合唱曲の最終作品には、この象徴的方法が暗示的に 用いられている」。 これがバッハの実際に用いた方法だったとすれば、はなはだバッハらしくない ことをやったものだ、と言いたくなる。このような頭の体操は、ある種の人たち には刺激を与えるのかもしれない。だが、幸いにも、バッハの音楽はこうした 人工的なカラクリがなくても、十分鑑賞できる。バッハのように“正さ”、必然性、 知性、音を論理的に並べる手腕をこれほど見事に備えた音楽は、文献資料中に 存在しない。そして大作曲家の作品としてバッハほど宗教、特にルター派信仰と 密接に結びついた音楽もまれである。バッハは、音楽とは神性の表現であると まじめに信じていた。彼は宗教音楽の楽譜の始めにJJ(「神よ助け給え」の略語)、 終わりにSDG(「神のみに栄光あれ」の略語)と書いた。一、二の学者が、バッハは 実は信心深い作曲家ではなかったのだと立証しようとしたが、説得性に不足し、 その論理についていくのは困難である。
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