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ハイドン(12)
グッキー (61)投稿日:2004年08月20日 (金) 21時41分 返信ボタン

 技法のうえでのハイドンの最大の貢献は、ソナタ形式を確立したことであった。若い頃、彼は主題がほとんど発展しない、音色のきれいな音楽を書くだけで事足れりとしていた。いわば楽器のためのアリアであった。ところが彼の才能が成長し、マンハイム派や初期ウィーン派の作品に通暁し、理想も技法も大きくなるに従って、当時のヨーロッパのいかなる者よりも見事に、ソナタ原理を作品に活かすようになった。ソナタ形式は基本的には、対照と発展である。すなわち、ソナタの第一楽章は呈示、展開、再現の三部に分かれる。呈示部は楽章の基礎となる材料を提示する。強い主題(第一主題)と、より抒情的で対照的な主題(第二主題)がある。時おり、特にロマン主義時代には、これらは男性的要素と女性的要素と呼ばれた。
 展開部では、両主題の一方または双方に手が加えられる。展開部の質が作曲家の能力、想像力、技法をはかる尺度となる。こうした過程のあと、再現部は最初の二つの主題を、大体最初の形のまま回復させる。こうしてアーチ型構造が完結する。古典交響曲の多くは、第一楽章が緩やかな導入部で始まり、歯切れのよいコーダで終わる。緩やかで抒情的な第二楽章が続き、次いで舞踊的な第三楽章(これは省略されることもある)となり、そして最終楽章となる。最終楽章はロンドのこともあるが、これはABACAの様式に従って、主要主題の周囲を補助的主題が回転する形式である。
 これらのいずれも、ハイドンが発明したわけではない。しかしヨーロッパの作曲家のうち、彼ほどこの原則を洗練化した者はいなかった。1760年代から70年代、そして死に至るまで、彼は奇跡的なほど独創性と魅力と生命力に富んだ作品を作り出した。もっとも彼の作品が完全な円熟さに輝くようになるのは、1780年以降となる。彼は史上最大の多産作曲家の一人であり、標準目録によると、交響曲104、弦楽四重奏曲83、ピアノ・ソナタ52、協奏曲多数、多種多様な室内楽曲、多数の合唱曲、オペラ23、多くの歌曲、オラトリオ4、多くのミサ曲――となっている。ハイドンの勤勉なペンが手をつけなかった音楽形式は、一つもない。そしてヨーロッパ全土が、彼を類まれな巨匠と認めていた。
 しかしプロの仲間内では、彼の音楽を過小評価する傾向があった。あまりに軽く甘いと考えられたのである。ハイドンはモーツァルトやベートーヴェンと違って、決して既成秩序に挑戦しなかったため、彼の音楽を極めて当たり前で何の変哲もないものとみなす傾向もあった。ベートーヴェンのスケルツォに大きな影響を与えた、ハイドンの農民のように元気なメヌエット楽章は、しばしば「通俗的」とか「月並み」だと軽蔑された。彼の作品は極めて優美で安定していたので、例えば大胆な調の作り方といった、すぐれた側面が見逃されることも多かった。
 1770年代にハイドンは、いわゆる“疾風怒濤時代”――創作者がもっと個人的な感情を表現しようとした、ヨーロッパの一時代――を経験した。これはロマン派到来の前ぶれをなす衝動であった。この時期にハイドンはヘ短調、ホ短調、嬰ヘ短調、ロ長調(すべて“ロマンチック”な調性)といった、一般的でない調性で作曲した。実際、彼の調性の選び方はモーツァルトより大胆でさえあった。もっとも、特定の調性内ではモーツァルトの方が大胆であったが。そしてハイドンの後期作品には、ロマン派を予期した要素さえうかがわれる。
 しかし何にもまして、人生と芸術に対する率直で明確な、善意に満ちた、病的にならない見方がハイドンにある。「神は私に朗らかな心を与えてくれたから、神に朗らかに奉仕しても神は私を許されるであろう」と、かつてハイドンは書いた。この言葉がすべてを要約している。




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