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ハイドン(8)
グッキー (55)投稿日:2003年05月03日 (土) 07時34分 返信ボタン

 ハイドンの才能の発展にかなりの刺激を与えたのは、1781年に当時25歳の
モーツァルトと出会ったことであった。二人の天才は互いに相手を尊敬した。
モーツァルトは六曲一組の偉大な弦楽四重奏曲(14番―19番)をハイドンに
献呈しているだけでなく、言葉と行動においてハイドンを擁護した。ウィーンで
活躍していたピアニストのレオポルト・コーツェルフが、ハイドンの四重奏曲の
一節について「私なら、こんな風に書かなかっただろう」と言って嘲笑した時、
モーツァルトは彼の言葉を遮って「私だって同様だ。その理由がおわかりですか。
あなたも私も(ハイドンのように)卓抜なアイディアを持っていないからです」
と応酬した。
 ハイドンもモーツァルトに恩返しをした。モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』
がハイドンの面前で批判された時、ハイドンは「私はこの論争を解決できないが、
これだけは言えます。モーツァルトは現在、世界最大の作曲家です」と語った。
モーツァルトから、ハイドンは曲の構成、調近親関係、そして特に音楽の表現の
可能性について新しいアイディアを得た。モーツァルトの音楽を知ってから、ハイドンの
作品は以前より幅広く、深味がまし、表現力が豊富になったことは確かである。一方、
ハイドンの長所はモーツァルトに影響を与えた。モーツァルトはハイドンから、
音楽の骨格について多くを学んだ。
 モーツァルトと出会う以前に、ハイドンはすでにヨーロッパで最も有名な作曲家の
一人であった。1776年に彼の音楽は大歓迎を受けており、ある批評は「わが国の
寵児ヨゼフ・ハイドン氏。彼の偉大な人格は、すべての作品の中に表れている。彼の
作品は美、秩序、明晰さ、繊細で高尚な単純さを備えている・・・・・」と述べた。
フランス、イタリア、ロシア、スペイン――すべての国が彼の音楽を称讃した。
彼の作品が発表されると、模倣され、盗作された。音楽活動の盛んな都市から、
ハイドン大先生じきじきのお越しを願いたい、という招待状が次々に舞い込んだ。
ハイドンはエステルハーザにとどまったままだった。
 1790年にニコラス壮大候が死に、あまり音楽に関心のないアントンがあとを
継ぐと、少数の楽士を残してオーケストラを解散させたが、もちろんハイドンは留任した。
しかし仕事はほとんどなく、どこでも好きな所へ行けたので、彼はウィーンに移った。
1790年末に彼は英国公演の申し出を受諾した。ロンドンに移住したバイオリニスト
兼興行主のヨハン・ペーター・ザロモンがウィーンを訪れ、ヨーロッパで最も有名な
この作曲家を口説いたのであった。ハイドンが英国に行って、そこの民衆のために
音楽を作曲し、コンサートに出る――そうすればウィーンに戻るときは金持ちに
なっている、という条件であった。ハイドンは1791年1月1日、英国に到着し、
18ヶ月間滞在した。




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