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ハイドン(7)
グッキー (54)投稿日:2003年04月15日 (火) 13時36分 返信ボタン

 シュターミッツ、そしてのちにはカナビッヒがマンハイム・オーケストラを
指揮したが、この楽団は「将軍たちで構成された軍隊」と呼ばれた。このような
正確さ、力強さ、名人芸は当時まで存在しておらず、自惚れの強いモーツァルトまでが、
夢中になった。作曲家兼批評家のクリスチャン・シューバートは「フォルテは雷、
クレッシェンドは大滝の音、ディミヌエンドは遠くで泡立つ水晶のような流れ、
ピアノは春のそよ風だ」とうっとりした調子で書いている。これがトリプル・ピアニッシモから、
割れるようなフォルティッシモへと上昇する、有名な「マンハイム・クレッシェンド」であった。
 ハイドンのオーケストラは、これほどの高水準ではなかったものの、彼はこれを
ヨーロッパ最上の一つに仕立て上げた。彼はその指揮者であり、そのように自称した。
彼の指揮者としての役割は、今日の指揮者という言葉の意味とは若干異なることを
認識しなければならない。指揮棒で拍子を刻む巨匠の時代はまだ到来しておらず、
ハイドンはクラビーアを弾きながら、またはバイオリン・セクションの首席として
指揮をした。彼の時代には通例二人の指揮者がいた。一人はクラビーアを弾きながら
指揮し、もう一人はバイオリン奏者が指揮した。クラビーア奏者がリズムを維持し、
間違った奏者や歌手を直した。バイオリン奏者は全アンサンブルとニュアンスに注意を払った。
 ハイドンの場合はニュアンスが多く、自分の作品がどのような音を出すべきか、
を説明した彼の書簡が示すように、音調の細かい差異を作りださねばならない
と主張した。自分がどんなオーケストラを指揮する場合でも、指揮権が分かれていると
否とにかかわらず、彼は完全にコントロールした。演奏者を支配し、テンポを設定し、
アンサンブルを統一して、事実上、彼は現代の指揮者と同様の指揮をしていたと
いえるであろう。
 ハイドンは、毎週火曜と土曜の午後2時から4時まで行われる、2回のコンサートの
ために音楽を提供した。彼はオペラ公演も担当し、エステルハーザ劇場のために多くの
作品を書いた(ハイドンのオペラは、時々少数の作品が希少価値からリバイバルされるが、
常時上演されてきたのは一作もない)。1786年だけでもエステルハーザ劇場で、
18のオペラが上演され(うち8曲は初演)、演奏回数は合計125回にのぼった。
ハイドンの権威であるH・C・ロビンズ・ランドンは、1780年から1790年までの
10年間に、ハイドンは人形劇用オペラや芝居の附随音楽はいうに及ばず、1026回の
イタリア・オペラ公演を指揮した、と推定している。
 これは激務であったが、報酬もあった。ハイドンはかなりの俸給を取り、召使いと車夫、
馬車が付き、ヨーロッパの名所の一つに住み、自身が選んだ有能な団員に対し絶対的な
権限を行使した。また彼は趣味の狩猟と魚釣りに耽ることができ、一発で三羽の鳥を
射止めたときの興奮を、死ぬまで語っていた。




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