俺は少し荒廃した町並みを、教室の窓から眺めながら、ため息をついた。
頬づえをつくのも疲れてきて、手すりにもたれ掛かって外を眺める。
窓の外を眺めながらいつも思う。
――この世の中腐ってる。
穢れきった人間が再び起こした戦争。
殺し、奪い、そんなことを繰り返して一体何が残るというのだろうか。
戦争さえなければ、ここから見える景色は少し無からず奇麗だったはずだ。
空襲対策の為、日本を膜で包み込むように張られている、分厚い防御膜。これがどのような化学技術で張られているのかは分からない。
しかしこれは外からの光の半数をさえぎってしまい、いつでも曇っているような暗さにさせる。
俺が生まれるずっと前は、とても美しい世界だったのだそうだ。天からは光がさしこみ、青天が広がり、そして地上には草花があった。
だがそれは、戦争という名の絶望そのものに奪い去られてしまった。
天に広がるは遮光壁。
地に広がるは冷鉄。
平和を捨て、争いを無窮に求め続ける理由が何処にあるのだろう。
そしてここ――
戦争のさなか、将来役に立つとも思えないような情報ばかり教えこまれる、全く必要性の無い学校。
こんなところ、本当に無くなればいいのに。
少し耳を傾ければ聞こえてくる、本当に無為な会話。テレビの話しだとか、遊びの話しだとか、恋の話しだとか。
一体そんな話しをして何が楽しいのだろうか。時々耳を抑えたくなる。
そして更に鬱陶しいことに、そいつ等はその話題で俺に喋りかけてくる、毎日毎日。俺は軽く相づちをうつだけで、もう喋りかけてくるな、という雰囲気を出してみるのだが、そいつ等は喋りかけてくる。
そしてまた、一人男が喋りかけてきた。
「浩一、窓の外なんて眺めてて楽しいか?」
俺は目を伏せ、少しため息をついてから、疲れた半眼で彼の顔を振りかえり見る。
雄二だった。生徒の中でも俺に一番喋りかけてくる奴、俺が一番嫌いな奴だ。
ガキでいつも騒がしく、授業中ですら喋りまくっている。本当に、同じ十四だとは思えない。背丈も俺より低いし。あ、俺が長身なだけだったな。
そんな彼は俺に微笑みかけてくる。俺は投げやり気味に答える。
「楽しくなんか無いさ。でも、何もしないよりましだろ」
それだけ言うと、俺は再び、頬づえをついて窓の外を悠然と眺めた。
だが彼は悩んでいるような表情になると、腕を組んで首をかしげた。
「うーん……友達と喋った方が楽しくない? 折角の休み時間なんだしさ、喋ろうよ」
喋ろうよ、か――ばかばかしい。
俺はお前達が大嫌いだ。
そして俺は、こんな奴らと同じ場所に机を並べている、俺が大嫌いだ。
だが、そんなことを口にはできない。口にすれば、嫌われる。
大嫌いな奴には、どうでも思われないのが一番いい。最初から存在していないと思わせておけばいい。それなら利も害も発生しない。
利が発生しないということは、奴らと関係が浅くなれるということ。
害が発生しないということは、俺が傷つかないということ。
だから俺は愛想笑いを浮かべる。
「好意は嬉しいけど、今日は少し疲れているんだ。休ませてくれないか?」
こうやって嫌いな奴の為に愛想笑いを浮かべ、自分を偽りつづけ、社会の様に穢れていってしまうのだろうか。本当の自分というものを見失ってしまうのだろうか。
ふとそう思い、自分が嫌になる。
だが俺は出きるだけ表情を崩さぬ様、上目遣い気味に雄二を睨む。彼はつまらなそうな表情だ。
そんなに相手に反応を示してほしいのだろうか。だが、ご期待には添えないな。俺は好意をもたれる為に愛想をふっているわけではない。
もう俺に構うな。一人に……しておいてくれ。
だが、雄二は何故いつも俺に喋りかけてくるのだろう。俺は嫌われない程度に、ほとんどの奴は突き放す様接してきた。こいつも同じだ。
それでもこいつは俺に喋りかけてくる。何故だ、何故なんだ。たまにいる、冷たい態度をとられるのが好きな奴なのだろうか。
そうじゃなかったらこいつは本気で――
そこで彼が悲しそうな声音を上げる。
「そうかぁ。まあ暇だったらさ、いつでも話しかけてよ。俺、いつでも話し相手になるからさ」
それだけ言うと、雄二は男子の取り巻きの中へと帰っていった。
流石にこれだけ期待を寄せられて裏切るというのも心が痛むが。
だが俺に雄二は必要無い。俺はこれからもずっと独り。それでいいんだ。
家族がいない俺には、それがお似合いだ。
そう、独りでいいんだ。独りなら、裏切られて傷つく心配も無い――
とそこで、チャイムが鳴り始めた。途端、女子はうるさく騒ぎながら各々の席へと座っていく。男子も席に座り、それでも喋りつづける。
あぁ、本当にうるさい奴らだな。
俺は一番後ろにある自分の席に座って、授業が始まるのを黙って待った。
やっと全ての授業が終わり、俺は鞄を背負ってさっさと教室から出た。
長い廊下を歩き、階段を駆け下り、あっという間に校門前まで着いた。俺は一瞬だけ後ろを振りかえり、すぐ視線を前に戻す。
やはりいつもと同じ。誰もいない、声もしない。ただ虚空の風が悲しい、不規則な音色を奏でるだけ。
孤独とは静寂。独りだから前には誰もいないし、声もしない。
――そう、それでいいんだ。
俺に居場所など無い。
友達も要らない。
この道の様に、静寂を歩んでいくのだ。
何も要らない。
悲しくなんて、寂しくなんて、無い。
俺はやっぱり。人間が大嫌いだ。
体が前へとひとりでに動き出した。抵抗も無く、俺の体は進む。
だが途中で突然体が止まった。誰かに後ろから、手を握られている。
はっと意識を取り戻して俺が後ろを振り向くと、そこには雄二がいた。
彼は俺の手を握っている。俺が止まったのを確認すると、彼はその手を離した。
それから俺にまた、あの笑顔を向けてきて言った。
「一緒に帰ろ?」
だんだんと意識が元に戻ってきた。
しかし、現状はあまりよくなかった。雄二が俺を引きとめて、一緒に帰ろうと言ってきた。
彼の顔を再び見ると、期待に輝く双眸が俺を覗きこんでいる。
それに一瞬挫けそうになる。いいよ、と答えそうになる。
だが、すぐに顔を引き締める。ここで一緒に帰っては駄目だ。ここで帰っては、これからも誘ってくる確率が発生してくる。
俺は独りなんだ。他人と帰るなど、俺が許せない。
しかし彼は期待した顔。
ここで断っても、別に嫌われたりはしないはずだ。
俺は一度咳き込んでから、小さめの声で答える。
「あ、あのさ、俺今風邪気味だし、雄二にも風邪を移してしまいそうだから、今日は一人で」
俺が言い終わらないうちに、突然彼は俺の肩をつかんできて、目を大きく開く。
「そ、それじゃあ尚更だろ! 一人で帰ったら余計風邪が悪くなっちゃうよ! 俺が側にいるから、ゆっくり帰ろう。な?」
俺を覗き続ける。心配、しているような目だ。
何故だ、何故雄二は俺にこんなにも構ってくるんだ。
いや、今回は俺のミスか? お節介な雄二の性格も考えず、演技する必要は無かった。
と言うことは、今から断って一人で帰るのは不可能。断ってもどうせこいつは、風邪になっていると思っている俺に、付きまとってくる。
仕方が無いか。
「それじゃあ、頼むわ」
「了解!」
彼はにっこりと笑って、何故か敬礼する。
こ、これには反応した方がいいのだろうか……いや、バカは無視だな。
俺達二人は、並んで帰路を歩みだした。
「浩一家族がいないっていう噂、本当だったんだな」
雄二はあっけらかんと言い放つ。
普通、こういうことをあっさり言うものだろうか。もう少し、相手に気を遣う、ということを学んだ方がいいよな、こいつは。
「あぁ。八歳以前の記憶も無いんだし、当たり前だな」
「そっかぁ。あれ? でもなんで浩一は、自分の名前と年齢を覚えてるの?」
「都合がいいことに、それだけ覚えてたのさ」
俺が愛想笑いを浮かべると、彼も笑みを浮かべる。
こいつは俺と違って愛想笑いなんてしていない。本当に、眩しい笑顔。俺にはできない顔だ。
そこで、俺は愛想笑いを保ったままで続ける。
「でもさ、苗字だけは見事に忘れてたんだよな。浩一っていうのだけは覚えてたけど」
その言葉に彼は驚愕した様子で、少しおどおどして聞いてくる。
「じゃ、じゃあ倉田っていう名前は偽名?」
「そうだ。これ知ってるの、まだお前だけだな。誰にも言うなよ」
「了解!」
また敬礼だ。
――本当にこいつにこんなことを教えてよかったのだろうか。
確かに、こいつの性格から見てこういう他人の重要な秘密を漏らすようなことは無いとは思うが、この敬礼を見、あまりにも子供過ぎて逆に心配になってきた。
それなら、俺もこいつの秘密を握ればいい。思いきった質問をしてみよう。
「じゃあ、雄二は皆に隠してることとか、あんの?」
俺が冗談を言う調子で聞くと、彼の反応は予想以上に大きかった。
汗をかいて、うつむいて体を震わせている。
そんなにも知られたくない秘密でもあるのだろうか。
「おいおい、俺に言わせといてお前だけ言わないって言うのは無しだろ」
チャンスだ。彼がもし本当に、誰にも知られたくないような秘密を握っているのだとしたら、この場でどうこういって聞き出せるかもしれない。
「どうした?」
彼は顔を上げた。許しを請うような表情だった。
「ご、ごめん……これは流石に言えない」
「なんだよ、言えよ。俺だって記憶が無いとまで言ったんだ。誰にも知られたくなかった過去だ。お前だって言えよ」
しかし直後、彼の目は強いものに変わった。どこか遠くを見据えているような目。
「俺が握っている情報は国家機密情報だ。冗談ではない。だから俺は言えない」
国家機密情報だと? 雄二の顔を見る限り、嘘をついてる様にも、冗談を言っている様にも見えない。
国家機密情報となると、戦争に絡んでくる情報のはずだが。
と、彼の表情はいつもの微笑をたたえたものに変わった。
「それよりもさ、明日暇だからどっか一緒に遊びに行かない?」
「えっ?」
彼の突然の誘いに、俺は戸惑い、うつむいた。さっきまで考えていたこともどこへやら、今はこの誘いの事が頭を埋め尽くす。
一緒に遊びに行こう。
いままで一回も言われたことが無かった。だから、こういうことを言われるのがどういう感覚なのか、俺は今まで知らなかった。
だが今日初めて知った――
彼が向けてくる笑顔。それに呆然とする俺。風が髪を撫で、静かな音を立ててなびく。
とても不思議な気持ちだ。この気持ちはなんだろう。
自然とわくわくしてくるこの気持ち。
――いや、こんな事を考えてはいけないんだ。
もう決めたじゃないか。
二度と友達をつくらない、と。
人を信じてはいけない。変わらないものなんて無い。
いつかは必ず、裏切りという別れがやってくる。
それならどうすればいいか?
そう、孤独。
独りでいれば裏切られることなんて絶対無い。
他者の干渉を遮り、たった独りでいることこそ、頭のいい生き方だ。
それなら自分で得た利益は全て自分のものになるし、傷つくことも無い。
俺はうつむいていた顔を上げ、冷徹を装った瞳で睨みつける。
「残念だが、行けないな」
それに彼は顔をしかませて、怒ったような口調で言う。
「もう、浩一って本当につれない奴だな。そんなんだと、嫌われるぞ」
この言葉に、俺の中で何かが切れた。いままで我慢してきた感情、それが一気に溢れ出してきた。
気付くと、いつのまにか俺は彼の胸ぐらをつかんでいた。彼は苦しそうに俺の手を叩きながら、あえぐ。
だが、口は勝手に動き始める。
「貴様に何がわかる。俺は独りでいたいだけだ。お前みたいなうるさい奴は一番、大嫌いだ。いや、俺は全てが大嫌いだ。嫌うなら嫌え。だがそれ以上に俺はお前等が大嫌いだ。二度と俺に構うな。近寄るな。話しかけるな。バカな頭でも理解できたな」
俺はそれだけいうと、雄二の胸ぐらから手を離した。
彼は地面に手をついて苦しそうに咳をしながら俺を忌々しげに見上げる。
「独りを気取って、そんなにかっこいいか?」
言いながら、無表情の俺を睨みつけたままふらふらと立ちあがる。
「浩一、お前は怖いんだ。前からずっと思ってた。お前は友達に裏切られるのが怖いんだ。それを認めたくないからずっと独りでいて、自分の中で、これでいいんだ、と勝手に自己解釈してかっこつける。そうだろ!」
俺の腕は勝手に動いていた。
刹那に拳は彼の右頬を捕え、雄二の体がぐらっとなって彼は口から血を流しながら地面に膝をついた。
だが直後、彼の足払いに襲われ、俺は体の側面から地面に倒れた。
倒れた俺の顔面に、雄二の足蹴がすかさず飛んでくる。避けきれず、顔面に直撃した。
だが、カウンターの要領で俺は彼の腹部に蹴りをいれた。
双方から血が空に舞った。
俺は急いで立ちあがり、彼から距離を置く。雄二も同じ事をした。
雄二は目を細めて、俺の目を覗きこむ。
「図星だろ。そうやって自分以外はバカだとか、優越感に浸ってんだろ。バカは浩一だ。お前は独りで一体何ができるんだ? 何も出来ないくせに、独りを気取るな」
も、もう許せない。
一瞬でもこいつを信じた俺がバカだった。俺と遊びに行こうなんて考えは、どうせ俺以外の男子が皆、都合があってそれで俺しか誘う相手がいなかった。そんなところだ。
こいつはバカのくせに、ここまで俺のプライドを踏みにじりやがって。
ぶっ殺してやる!
俺は鞄から三本のナイフを取り出す。
それを見て、彼は表情を固くして後ずさりした。いい気味だ。ぬのが怖いだろう? 生きたいだろう?
だが俺はお前が大嫌いなんだ。
「」
ナイフを二本彼に向かって投げ、残りの一本で直接襲いかかる。
ナイフが雄二に刺さる――
そう思った直後のことだった。突然彼は後ろへ跳びながら握りこぶしを前方へと向ける。
そして拳を開くと、雄二の目の前に突如として鉄の壁が現れ、ナイフから身を防いだ。ナイフは金属音を立てて、地面に転がった。
一体どこにこんなものを隠していたのかは知らないが。
この鉄の壁をかわしさえすればあいつを刺せる。
俺は速度を緩めることなく、大きな鉄の壁を横切って、冷や汗を流す雄二に襲いかかる。
ナイフが雄二の心臓を貫通した。
――と思ったが、感触が無かった。ナイフの方を見てみると刃の部分がぐにゃぐにゃに折り曲げられていて、殺傷能力を無くしていた。
呆然と立ち尽くす。そして冷静さを取り戻してきた――
何故俺は雄二を殺そうとしたんだ。
これはあまりにも無謀なことだった。やってしまった今更、後悔した。
手から力なく、変形したナイフがすり抜け、地面に落ちる。
「ご、ごめん。どうかしてたんだ。頭がこんがらがって……わざとじゃない、無意識のうちになってたんだ。ほ、本当にごめん」
俺は人を殺そうとした。無意識だったとはいえ、同じ事だ。
……許してくれるはずが無い。彼は学校の生徒、先生、親、皆にこのことをばらすに違いない。
そうなれば、俺は警察に捕まる。
戦争が無かった時代とは違う。未成年でも、罪は罪。捕まるのだ。
俺の人生は終わった――
だが、俺の言葉に彼は慌てて返してきた。
「う、ううん。浩一を挑発した俺が悪かったんだよ。ごめん」
俺は驚きを隠せなかった。
殺されそうになったのに、何故こいつはこんなことが言えるんだ。
何故。
「なんでだよ……」
俺はいつのまにか声を発していた。口はそのまま動き続ける。
「なんでそうやすやすと許してくれるんだよ……」
雄二は口から細く流れ出る血を袖でふき取りながら、黙って俺を見てくる。
「これじゃあ、俺がバカみたいじゃないか……勝手に暴走して雄二を殺そうとして。でも雄二はあっさり許してくれて」
悔しかった。
悔しくて悔しくて、顔が紅潮していくのを感じながら溢れ出る涙を止めることができなかった。
全部嫌いだった。
こいつだって大嫌いだった。
なのに、優しくされるなんて。
我慢ならなかった。
でも。
嬉しかった。
何故か分からなかったけど、嬉しかった。
涙が止まらない。
かっこわるくて、本当に俺はバカみたいだ。
もう独りで生きていくと決めたのに。
他人の優しさで泣くなんて、バカみたいだ。
泣いて泣いて、顔を上げられない俺の肩に何かがのった。
温かい。
ふと顔を上げると、優しげな微笑をたたえた雄二がいた。
肩に手を乗せたまま、彼はそっと一言。
「俺を、お前の友達第一号にしてくれないか」
その言葉を聞いて、顔が自然とほころんだ。
涙を拭いて、愛想笑いではない、笑顔で俺は彼の顔を見た。
もしかしたらこの言葉が。
この言葉が俺の待っていたものだったのかもしれない。
「了解!」
俺は笑みを浮かべながら答えて、手を伸ばした。
その手を握って、雄二は俺を引っぱり立たせてくれた。
「じゃ、帰ろうか」
雄二は何事も無かったのように歩き出した。
それを追って俺も歩き出した。
二人で歩く道を。
遮光壁に遮られて微かにしか差し込まない、淋しげな夕日も。
今日はとても明るく見えた。
夕日に照らされながら高い煙突の上から双眼鏡で、二人並んで歩く少年を眺める少女。
まだ十五か十六くらいの、幼さが混じった顔立ち。
それに群青の髪。
双眼鏡から顔を離すと、すぐ目につく碧眼。その瞳で彼らを再び一瞥してから、にやりと笑う。
「アトミック、見ぃつけた」