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お持たせ展示館

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  まことさんみなさんおはようございます。

投稿者:千代生

ゆうさんお母さまもう少し元気だったらよかったのに残念でしたね。
最近は特養待ちが多くて、入所が決まったら亡くなってしまったとかも聞きます。
母も面会の連絡があったら、入所なのですが?まだまだ先なのかもしれません。

老健に入所して、もう見てくれる後見人さんが要るので、安心しているようなので、特に私が面会に行っても、どうって事ないようなんですが。。。
取りあえずは私が自分の気休めに、たまに面会に行っています。

昨夕は友人に誘われて、久しぶりに仕事帰りに出かけましたら、週末なので町は物凄い人出でした。
ユニクロで仕事着用の安いTシャツを買って、珍しく苺のパフェなど食べて帰宅しました。(写真のお勧め品)
あまかったぁ。。。

決算もあって、PCショップはもう投売り状態で、セールやっていましたが、4月にウィンドウズ7が出る前と言う事でか、意外と人はあんまり居ませんでした。

今日はお天気もイマイチなので、ゲームと読書(東海林さだお)です。

[1035]2009年03月08日 (日) 10時27分 : 返信

親孝行

投稿者:海晴(かいせい)

千代生さん今日は!
お母さま(老健に入所して、もう見てくれる後見人さんが要るので)お元気なのでしょう。
私の母はガンで、とても苦しんで旅立ちました。病院に泊り込んで付き添いました。母の手首と私の手首を腰紐で繋いで、目覚ましを30分毎にセットして夢中でした。気丈な母は痛いとも苦しいとも云わず回診の先生に「殺して!!」と言ってました。可哀想でした。
喉を切開し、胃に直接ものを流し込み、苦しいからいらないと言うのに元気になろうねと、無理やりにこれを繰り返してました。どんなに辛かったろうと思いました。
私の身体が続か無いので付き添いをよその方に御願いしましたら、駄目でした。矢張り娘がいいようです。
結局母は苦しんで苦しんで旅立ちました。
後悔だけが残りました。毎日仏壇にお経をあげても「後悔」だけ今も引きずっています。「親孝行したい時には親はなし」悲しい事でした。40年も前の事です。
千代生さんが「たまに面会に行っています。」事でどんなにかお母さんには嬉しい事でしょう。親孝行なさってます。お大事にして下さい。

[1036]2009年03月09日 (月) 12時15分

投稿者:まこと

千代生さん、親孝行は出来るうちにしておかなくちゃって思いますね。
今いくら元気でも、今まで過ごしてきた日々に比べれば、残りの時間は当然ながら少ないのですものね。私など、親孝行親孝行と思いつつ、つい喧嘩ごしになってしまったりするので反省しております。

海晴さん、まだお若かったのにおつらいことでしたね。
40年も前には、医療の考え方も今とは違っていたでしょう。医学の進歩は、生きることのみならず、より良い死にも反映されてゆくのだと思います。
看取りには後悔が付き物、と以前書いていらっしゃったのは海晴さんでしたっけ?後悔は必ずあるとしても、付ききりの看病という最大の親孝行をなさったのだから、お母様はきっとお喜びですよ。

今日もとても三月とは思えない風の冷たさで、真冬の格好をしてお散歩に行きました。ちかたんもまだセーター着ています。先日の暖かかった二、三日に服を着せずに出ましたが、どうも裸ン坊みたいに見えます。そのうち目が馴れるでしょうけれど。

[1037]2009年03月12日 (木) 23時09分

有難うお母さん

投稿者:海晴(かいせい)

まことさん、皆さん、今日は!
暖かい書き込みを有難う御座いました。
矢張り駄目ですね。見る間に目がウルウルし泪がこぼれます。優しい言葉に弱いんです。でも、とっても嬉しい!!。母に子供達(男の双子)を見てもらい、勤めに出ていたのです。母はものを食べると苦しいと、食べなくなりました。一度京都の叔母と旅に出たきり、遊んだ事がありませんでした。一月に一度日本橋の三越に行くのが楽しみみたいな、無いお小遣いで、上の女の子の着る物を買うのが楽しみで、怒られても買って来てくれました。其れが母のたった一つの楽しみだったのです。月日が経っても母の事を思う時、申し訳なさに涙がこぼれます。主人はもう苦しまないから、良かったのだよ。と云ってくれますが、そのくらい辛さを母は堪えていたのです。桜吹雪の中ではなく4月には珍しい雪の中、近所の方々に送られて旅立ちました。
暗いお話になって御免なさい。写真はさみしげな熱海の山桜です。

[1038]2009年03月13日 (金) 11時37分

  奥の細道⇒ 末の松山

投稿者:海晴(かいせい)

【 末の松山】

《 あやめ草 足に結ばん 草履の緒 》
 「寶国寺」 参道入口                 末の松山
                         右側の写真の本堂裏手が現在の松山で墓地になってお、連理の枝を模して聳え立つ松の大木の下に歌碑がある。末の松山というのは平安中期の歌人清原元輔の「契りきな 形見 に袖を絞りつゝ 末の松山 波こさじとは」で有名な歌枕になっている由。
源氏物語の須磨・明石の巻では紫式部も引用している。曾良の日記によると、加賀城から見えると書かれているが現在では建造物に遮られて全く見えず、詩句が詠める風情などは些かもない。

《 いにしえを 偲ぶすべなき 秋暮かな 》 乱志

[1034]2009年03月05日 (木) 13時05分 : 返信

  奥の細道⇒壺の碑

投稿者:海晴(かいせい)

壺の碑】

《 あやめ草 足に結ばん 草履の緒 》

  「壺の碑」の覆堂(中に碑がある) 多賀城政庁址

多賀城址は広大な丘陵地にあり、一帯は緑の松や芝生に覆われた立派な史跡群になっている。「壺の碑」は群馬県の「上野国 多胡郡の碑」、栃木県の「下野国那須国造の碑」と ともに「日本三古碑」と言われており、かっての鎮守府(国府)の記念碑である。

近くに陸奥総社宮、多賀神社、多賀城神社、多賀城政庁址、東北歴史博物館などがあり一巡する価値があるが、周辺の風景や時代背景が著しく異なり、当方の感性の怪しさもあって「・・・泪も落ちるばかり也」という芭蕉の感慨には、ほど遠い気分であった。

《 千余年 偲びて覚ゆ 秋の風 》 乱志

[1033]2009年03月05日 (木) 12時42分 : 返信

  今朝は上天気ですね〜♪

投稿者:千代生

学の無い私でも (*´σー`)エヘヘ《五月雨を 集めて早し 最上川 》は知っていました。
やれやれ・・・授業で習ったのかも?

松尾芭蕉は持病持ちだったにしては、タフな人だったんですね。
昔の人は歩いていたから、基本的には基礎体力があったのでしょうか?

昨日は昼間はぼんやりと晴れ間も出ましたね。
私は母親の居る施設に、面会に行って来ました。老健ですので、皆さん元気いっぱいで、朝の体操などしていました。

武蔵五日市に有りますが、途中からはローカル線になります。毎回私は自分でボタンを押して上下車するのにドキドキしてしまいます。

アナウンスにしたがってボタンを押すのですが、以前はアナウンスがなかったので、ボーッと立っていて、側の人に声をかけられて、慌ててボタンを押していました。
最近はアナウンスされるので、やれやれです。
木造の駅がいい感じですが
これもそのうち、小奇麗なつまらない駅になってしまうんでしょうね。

[1030]2009年03月02日 (月) 07時15分 : 返信

投稿者:まこと

五日市にはそういう電車が走っているのですか!
昔、片栗の花を見に行ったり、滝を訪ねたり、そんなことで五日市方面に行きましたが、そのJRの路線かな?その頃はまだ普通でした。東京都内で珍しいですね。

海晴さん、「奥の細道」続々とありがとうございます。
芭蕉のような旅をしてみたいけれど、現代の一般人は時間も体力も不足していますね。

やっと晴れたので洗濯物を片付けました。でも明日からまたお天気崩れるとか。はやく暖かくなってほしいものです。

[1031]2009年03月02日 (月) 16時28分

投稿者:ゆう

いつかの駅舎のお写真もそうなんですね。残ってほしいですね。千代生さん、お母さまにお会いになれていいですね〜。私も母がホームに入ったので、おすし屋さんに連れて行ったり、ドライブしたり、今までできなかったことをしようと楽しみにしていたのですけど、あっけなく死んでしまいました。

海晴さん、奥の細道の転載を有難うございます。読ませていただいています。芭蕉って老はつくけど、今の私なんかよりずっと若かったんですね。こっちはまだまだガキだけど、なんという大人。歌枕は気持ちを凝縮していく歌の中でも、魂のような箇所なんだそうですね。惹かれるのももっともです。

[1032]2009年03月03日 (火) 10時31分

  「奥の細道」⇒(番外)

投稿者:海晴(かいせい)

 閑話休題
「奥の細道」を追っかけていると幾つか気付くことがあります。

  文字の総数は1万1千余りで、400字詰の原稿用紙だと僅か28枚にしかなりません。しかし芭蕉は、この短い紀行文を脱稿するのに数年を費やしています。 文章は練りに練り、推敲に推敲を重ねて書かれたものであることはまず間違いなく、芭蕉晩年の渾身の作品とでも云うべきものでしょう。
象潟での《象潟や 雨に西施が ねぶの花 》に象徴されるように芭蕉は非常な教養人で、漢籍にも精通していたようです。 尤も、当時のインテリー層が嗜む物としては中国からの文献が殆どであったでしょうから当然かも知れませんがね。
        
(*西施:春秋時代の越から呉王に贈られた傾城の美女。その色香に迷って呉王は越に滅ぼされた。
 芭蕉が「奥の細道」で詠んだ句の中では「最上川」の語を詠み込んだものが少なくありません。 代表的な作は
《五月雨を 集めて早し 最上川 》という句は、当初大石田の高台にある向川寺から俯瞰した川の流れを眼で見た感覚で静的に把えて「集めて涼し」としたのでしょうが、実際に本合海から乗船し流れに揺られてみて、これは動的に把えるべきことに気付き「集めて早し」に改めたものと思われます。  

俳聖と云えども、一発で完璧いうことではないのでしょう。有名な「舌頭千転」という教えも自らの実践に負うものと思われます。
内容は、かねがね憧れてきた歌枕などの地に立ったとき心に映った感慨を句に託し、若干の記述を付加しているに過ぎませんが、@500年先輩の西行法師に格別傾倒していること A「雲厳寺」の仏頂和尚や「軒の栗庵」の可伸僧のような「世捨人」的人物の生き様に大変な憧憬を抱いていた様子が覗えます。

基本的には各地の俳人依存の貧乏旅行でした。また、専門の宿屋も少ない辺地巡りであったせいもあって不潔で寝心地の悪い所に泊まらねばならなず、よく寝られないことを盛んにボヤき、これを避けるため、より人家の多い繁華な宿場を目指して疲れを厭わず頑張り、予定以上に足を伸ばしています。
非常に短気で、大変な気難し屋であったようです。訪ねた相手の応対が鄭重でないときは、すぐ去っていますし、随行者曾良との心理的軋轢を窺わすような行動も見受けられる、と一部の研究者も指摘しています。

胃腸に持病があって道中時々な難渋をしていますが150日にもわたる行脚で寝込むことはありませんでした。 

[1029]2009年02月28日 (土) 13時14分 : 返信

  奥の細道⇒榴ヶ岡天満宮

投稿者:海晴(かいせい)

榴榴ヶ岡天満宮
《 あかあかと 日はつれなくも 秋の風 》
    芭蕉句碑

芭蕉は、武隈の松を見た後名取川を越えて仙台に着き、俳号「加之」こと画工の北野屋加右衛門の案内を受けて3泊した。陸奥国分寺址があった「木ノ下」付近(現在も町名として残存)は古今集に出てくる歌枕である。

近くの「榴ヶ岡天満宮」は仙台最後の3日目に訪ね上掲の句を詠んでいる。加右衛門は別れに際して塩釜・松島方面の道順を示した「絵図面」や「干飯」「草鞋」を贈り別れを惜しんだ。 一方、芭蕉は加右衛門のことを風流の痴れ者」とまで評価して「早乙女に しかた望まん しのぶ摺」の短冊を贈っている。

《 夕陽背に 落葉ガサガサ 朱門坂 》乱志ヶ岡天満宮

[1028]2009年02月28日 (土) 12時44分 : 返信

  奥の細道⇒笠島

投稿者:海晴(かいせい)

「奥の細道」⇒笠島

《 笠島は いずこ五月の ぬかる道 》

笠島」には、平安中期に陸奥守を務めた歌人藤中将実方を祀る道祖神社がある。実方は小野道風、藤原佐理と並ぶ三蹟の一人と讃えられた能書家の藤原行成と諍いを起こし、行成の冠を投げ捨てたため、時の帝から「歌枕でも見てまいれ」と陸奥にとばされたと伝えられている。その後、実方は道祖神社の神前を乗馬したまま通過しようとして神罰を受け、落馬して落命、結局京には戻れなかった。

悲運の歌人である。 西行法師は「朽ちもせぬ その名 ばかりを留め置きて 枯れ野の薄 形見にぞ見る」と憐れんでいる。 芭蕉が此の地に達したのは梅雨最中の陽歴6月20日で、ぬかるみを長距離歩いて疲れ果て、立ち寄りを予定していたこの歌枕は望遠しただけで断念している。したがって「笠島はいづこ・・」となった。

「古人も多く旅に死せるあり」という「奥の細道」の記述に際し、芭蕉の念頭に浮かんだ「古人」の一人が、このヤンチャ貴公子であったかも知れないと想像すると一抹の哀歓が湧く。

《 京慕う 声無くも聴く 秋の風 》 乱志



[1027]2009年02月28日 (土) 12時26分 : 返信

  ((゚m゚;)アレマッ! 海晴さん大変だったんですね。

投稿者:千代生

あんまり現れないので、心配してしまいました。
こけちゃったんですかぁ。。。

って人事ではないので、私も気をつけましょう。時々私もよく躓く時があるんですよ。
何だったの?って見ると、何も無いんです。

足の筋肉が落ちないように、家でも時々椅子に座って、足首の上に、本とか乗せて、上げ下げしたりして筋トレしたりして居るのですが、疲れているとコケたりするんですよね。
皆さんお大事にね。
HPからも、ジグソーパズル出来るようにしました。
お暇な時には遊んでみてください。

[1025]2009年02月24日 (火) 10時14分 : 返信

こけました?

投稿者:海晴(かいせい)

ご心配有難う御座いました。
其れがその時記憶に無いのです。横断歩道を渡り始めて気がついたら地面に平行に浮かんでいた。なんて誰も本気にしてくれないのですが、お風呂で記憶が無いまま寝ていたときを思い出しました。やっぱり可笑しいですね。
春ですもの?
1月、元旦に転んだ時と違うんです。やっぱり頭に来ちゃったかしら?チョッピリ怖い!感じです。
気にしないで下さいね。来週、脳神経科の病院に行くので聞いてみようと思っています。笑われちゃうかな?

[1026]2009年02月26日 (木) 00時43分

  こんにちわ(○´∇`☆)♪

投稿者:千代生

2月は時間が経つのが早く感じますねぇ。。。
今日は又ピーカンの上天気ですが、この前の休みは通院で出かけたので、今日は閉じこもりの休日です。

まことさん今月は11番と17番でお願いいたします。
そういえば海晴さんは、どうなさっているのでしょうか?
最近はこちらにいらっしゃらないようですが?

[1017]2009年02月21日 (土) 11時25分 : 返信

書き込み

投稿者:海晴(かいせい)

千代生さん。皆さん、今日は!
朝より暖かい陽射しが降注ぎ、気持ちの良い春の雰囲気を楽しんでます。大きくなった家の金魚達も気持ち良さそうです。お腹をパンパンに膨らませ悠然と泳いでます。中で一人乗り遅れる海晴は又昨日三叉路の信号のある横断歩道で、見事手足を伸ばした状態で転び右膝を痛めましたが、直ぐに整骨院にて手当てして貰い大分楽になりました。頭も身体も一杯いっぱいで来月には後期高齢者。保険証が送られて来ショック度もいっぱいです。
暫くお休みをしてましたが、又奥の細道続々と書き込みをさせて頂きますので、宜しくお願い致します。
写真は房総富山「トミサン」の水仙です。相変わらず、家の相方さんのものです。海晴はまだまだ怖くて家に閉じ篭り病院通いに精を出しています。

[1018]2009年02月22日 (日) 13時16分

投稿者:まこと

まったく二月は足が速いですね。

千代生さん、今月も選句をありがとうございました。
お陰さまで、もうそろそろ選句一覧をUP出来ます。

ジグゾーも4つともクリアしてきました。さくらっ子ちゃんは、首から下が涼しそうでしたね。夏だったのかしら?

海晴さん、「奥の細道」の続きをありがとうございます。乱志さんの旅はますます快調のようですね。

後期高齢者と言っても千差万別です。好奇心旺盛で活動的で、パソコンを使いこなしていらっしゃるような方は、いわゆる後期高齢者のイメージとは違うような気がします(^^)
あ、お膝はお大事に。

[1024]2009年02月22日 (日) 23時06分

  「奥の細道」⇒武隈の松

投稿者:海晴(かいせい)

武隈の松
《 桜より 松は二木を 三月越し 》
武隈の松(二木の松) 竹駒明神(竹駒神社)

「武隈の松」に行くには、先ず「竹駒明神」を訪ねるのが良い。 朱塗りの大鳥居をくぐると、右側に「二木塚」があり上記の芭蕉の句を刻した碑があって、側面に「当社より二木の松まで二丁余」とある。「武隈の松」というのは「二木(にき)の松」の別称で、明神から徒歩約5分の国道沿いにある。 ちょっと離れて見ると写真のとおりなかなか風情のある姿をしているが、直下の歩道からだと格別な味気はない。
この地が、歌枕とされた経緯は、万葉集から後拾遺集までの約260首を解説した「奥儀抄」(平安後期に成立)に詳しい由。 現存の樹は7代目に当たるという。

《 立ち姿 秋の風情や 二木の松 》 乱志

[1023]2009年02月22日 (日) 21時49分 : 返信






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