投稿日:2006年03月31日 (金) 16時11分
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質問があります。
本当に私たちにとって「この世」という修行の場が必要だと思いますか? 別に「この世」が無くても「あの世」で修行をすれば充分ではないですか?「あの世」というのは「永遠の存在」ですから 時間など気にせずゆっくり修行すればいいではないのですか? また修行をしなかったらどうなるというのですか? 修行は絶対にしなければいけないものですか? いけないとすればどうしてですか?魂が不完全だからですか? 魂が不完全だとしたらそれは何故ですか? 魂は神が作ったものですか? 神が作ったとしたら魂が不完全なのは神が 悪いからではないですか? 私たちは修行を課されるいわれはないと思いますが違いますか?
―――――――――― 私は「この世」に「幸せ」など存在しないと思います。 何故ならば人間社会は人間の苦痛無しには成り立たないからです。 空腹という苦痛があるから農業 漁業が成立し 病気があるから医療が成立し 人間関係に苦しむ人がいるからカウンセラー業が成立し 退屈という苦痛があるからいろいろな娯楽産業が 成立するという風に 他に例を挙げれば切りが無いほどです。
もし仮にも「この世」の人全員が「幸せ」になったら その途端に「幸せ」を壊すものが現れるでしょう。 何故ならここは「修行の場」ですから。
この考えは間違ってますか? |
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[244]投稿者:マサト
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投稿日:2006年03月31日 (金) 16時12分 |
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↑ 何十冊か心霊関係の本を読んで出てきた疑問です。 |
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[245]因果応報投稿者:gura
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投稿日:2006年04月02日 (日) 21時08分 |
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現世は苦が当たり前とする縁起説であれば、当然修行の場と考えます。すべての苦しみ・悲しみが底辺としてのスタートであれば小さな喜びは修行を支える1歩です。 |
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[248]マサトさんへ投稿者:SHO
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投稿日:2006年04月03日 (月) 11時09分 |
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違いますね、99%間違いです。 100%といわないのはこの世に絶対がないからですが、人間は希望によって生きる生き物です。生かされているのではありません 自ら生きるのです。 昨今のニートは多分生きる希望がないのではないでしょうか?彼らにもなにか希望があれば問題も解決されると僕は思います。 幸せになってなにが悪い、それは自分や周りの人の協力あって作ったものでしょう。 はっきりいえば僕は今幸せです。こうして汚い世界にでも生きているのですから幸せです。 僕はマサトさんにも幸せになってほしいです。 だから敢えてあなたを厳しく批判しました。わかってやって下さい。 |
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[250]この世は成長の場投稿者:匿名希望
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投稿日:2006年04月04日 (火) 20時51分 |
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私は類魂をやってきたので、類魂論の立場で述べます。
物事は低いものから高いものへと進みます。 魂も、未熟な状態から次第に成長して、大人の魂になります。 ですから、この世は修行というよりも、成長期過渡期といえます。 解らないから、あちこち迷ってしまいます。 それが苦しみといえば苦しみ、というわけです。
私は類魂の全体は、生物のように考えています。 類魂のなかで守護霊や親神と私達の魂は、 中枢神経系のような構造をしています。 人体の中枢神経系は、上位中枢の脳の下位中枢の脊椎神経があります。 人間の自我は下位中枢の働きをします。下位中枢は単純な情報を処理できますが、より高次の事柄は上位中枢に相当する守護霊がコントロールしています。 たとえば、水を飲むためにコップを手にしたとします。 手は自分がどうしてコップを持たなければならないか理解することはできません。その水を飲まなければ、脱水状態になるということも理解できません。水をのむという行為をコントロールしているのは、上位中枢であるからです。
つまり、現象としての人間である自分だけを見ると、未熟で救いがたく、苦に満ちていますが、目線を上位中枢である守護霊に移せば、現在の自分のあり方が理解できるようになるはずです。
私の経験では、苦を感じるのは、周りの人間の悪い気を拾っている場合が多いです。 はっきりと原因がわからないので、世の中に苦の原因を求めてしまいます。
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[251]投稿者:マサト
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投稿日:2006年04月05日 (水) 16時56分 |
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希望とは何でしょうか? 医者になって病人を救いたい 政治家になって世界平和を実現したい 音楽家になってみんなを癒したい等 まず苦痛がなければ成り立たないものですよね。 こんな世の中の仕組みって非常に馬鹿げていると思います。 これは希望を持つなという意味で言ってるのではありません。 希望は持ってしまうものですから。
最近「あおぞら」という女子高生が実際に体験した 悲しい話の本が売れています。 呼んだ人はみんな感動してるようです。 私はこのことに非常に違和感を感じますね。 悲劇あってこその感動だなんて。 あの江原氏は「感動は修行だ」というようなことを 言ってました。「感動で魂を磨くのだと」。 不幸な人が必要な修行って一体何ですか? 納得がいきません。
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[252]投稿者:マサト
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投稿日:2006年04月05日 (水) 17時02分 |
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それと私は「幸せ」になりたいとは思いません。 「幸せ」は「不幸」あってのものですから。
私は「無」なりたいです。
今こういう人が目に付くようになりました。 なるべくしてなってると思います。まともな考えだとも思います。
全員「無」になれば 争いの無い静かな世界ができていいではないですか。 と言っても この考えを押し付けるつもりはありませんがね。 そんなことしたら無用な争いの元ですから。
「希望」なんて別に持たなくていいと思います。 持ちたければ持てばいいと言う程度でいいと思います。
無理に「希望があるはずだ。何かやりたいことがあるはずだ」 と煽る輩がいるから苦悩する人が出てくるのでは?
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[253]投稿者:マサト
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投稿日:2006年04月05日 (水) 17時07分 |
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未熟な魂ですか。
いや、逆に 完璧だったのかもしれませんよ。 体の中に放り込まれたため 不自由な魂になったとも考えられます。
匿名希望さん SHOさんの 考えを否定するつもりはありませんが いろいろな角度から考えてみるのも悪くないことだと 思います。 あなたたちにとってはそれが 「修行」になるかもしれませんしね。
レスありがとうございました。
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[256]「心霊研究」読めたら読んでください。投稿者:匿名希望
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投稿日:2006年04月05日 (水) 19時00分 |
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限られた書き込みではあなたに説明することはできませんが、 類魂論を生理学的に簡単に説明しました。
霊は、高次から見ると全体です。 現象の世界にいる人間は、物質の世界というフィルターを通してしか世界を見ることはできません。
マサトさんに、私の真意が伝わらないのは残念です。
数年前に「心霊研究」に連載された、故小山氏の類魂論をよんでいただければ、ご理解できると想います。
>不自由な魂になったとも考えられます。
不自由な魂はありません。 物質の中で物事を考える癖があるからそう感じられます。
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[258]投稿者:SHO
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投稿日:2006年04月06日 (木) 21時50分 |
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そうですね、僕も口下手なのでこういう考えを言い合うのはあんまりすきじゃないです。 でも、考えはいろいろあると思います。これが絶対だっていう正解もないと思います。 でも、せっかく生きてるんだから人生は希望を持って楽しんだほうがいいと思います。だってたったの80年ですよ? 全然マサトさんの意見にたいして喋ってませんね・・・でも、これが僕の言いたいことなんです。 |
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